チャイナタウンで休日を


1


 季節はもう秋口にかかる九月である。
 小林梨世は、ヘヴンズ・アソシエイション本社ビルの12階――自分の所属する課のオフィスがあるその部屋で、珍しく事務処理をしているところだった。
 白い壁、白いデスク、白い椅子……。
 どこかしこをみても白である。真っ白というよりは、どちらかというとほんのりと乳白色だ。組織のイメージカラーだった。
 非番も返上で働いているというのに、このヘヴンズ・アソシエイション――通称、ヘヴンズという、天使族と悪魔族の犯罪のみを扱う『特殊警察機関』――では暇という暇はないと言っていい。
 しかしここのところ、異種族の表立った激しい事件等は起こっておらず、現場に向かう仕事の多いリセは、それよりもやっかいな始末書の作業に負われていた。
 自分のワークデスクに昨晩から座りっぱなし。一心不乱に始末書を作成する。
 会社から配給されているノートパソコンに向かってキーボードを打ちつづけ、ようやく最後の一枚を作製し終わる……というところで、彼は視界の端に見慣れた姿の少女を発見した。
 彼女はちょうど隣の部屋へ続くオートドアの向こう側で、ガラス張りの壁になっているこじんまりしたスペースから、プラスチック製のコーヒーカップを二つ持ってこちらにやってくるところだった。
「お疲れ様です」
 短く言うと、少女はリセにコーヒーカップを手渡した。短めにカットされた黒髪に、スーツを着込むその姿は、まだ15だというのに実年齢より大人びて見える。
「さんきゅ、白雪」
 同僚でもあり、仕事上、現在のパートナーでもある彼女に礼を言うと、リセは始末書のデータ作製を一端休憩することにした。
 そうして黒い液体をのどに押し流すと一息つき、あたりを見渡す。
 部屋に自分と同じ社員――俗にエージェント、ガーディアンなどと呼ばれるのだが――の数は少ない。要領の良い彼らなので、この平和期間を利用して、恐らくは有休をがっぽり使ってしまおうという魂胆なのだろう。
 ……そして。
「……あれ。部長は?」
 リセは白雪にたずねた。すると彼女は淡々と、
「クァンヴァント部長なら今日、有休をとられていますが」
「何っ!? 休み!?」
 酷く顔をしかめる。
「なんでだよ!? 今日って俺の始末書の提出期限日なんだけど! この日逃すと上層部会議に間に合わんとかなんとかで減俸がっっ!! これ以上の安月給で俺にメザシでもかじってろっていうのかっ」
「心配要りません。衣食住の『住』は社が保証してくれますし。現在もリセさんは高級マンションの最上階の部屋に住んでるじゃないですか」
「住むとこがあっても金がなきゃ餓死するわっ!」
 表情を一切崩さずに言ってのけてくる白雪に、平手打ちの一発でも食らわせたい気分だったが、そうしたところでどうなるだろう。
 意味のないことはとりあえず体力の無駄なのでやめにして、リセは具体的な対応策を考えることにした。
 最初に思いついたのは携帯による連絡手段だったが、やっかいなことに向こうが着信拒否をかけているらしく、つながらない。
 クァンヴァントという人物は個人的なことを一切仕事に持ち込まないタイプに思えるが、どうやら個人的なことに仕事を結び付けもしないらしい。
「……くそ。こっちから部長に、直接データを見せて印を押させるしかない! ということで白雪、おまえ部長が休日どういう予定を立ててるとか、知ってるか」
「残念ながら私は部長のストーカーではないので」
「いや……誰もおまえがストーカーとは言ってないけどさ……」
「でも、そういえば」
「ん?」
「中華街へ寄るとおっしゃっていたのでお土産を頼んでおきました」
「って知ってんじゃねーかっ!!」
 小林梨世、16歳。
 こんどこそは彼女に平手つっこみをお見舞いしようと手をのばすが、あっさりとかわされた。







 雑多した店が所狭しと肩を並べあっている。
 オリエンタルな雰囲気を漂わせる食堂から、生活雑貨店、ツボ押し診療所、こんなものだれが買うんだというガラクタにしか見えない機械類を並べた屋台もある。
 通りには人々が賑わい、休日でもないのに観光客のような人間や天使族、悪魔族であふれ返っている。
 男は待ち合わせの場所に急いだ。
 見た目、30代そこそこの年齢。
 いつもの堅苦しいスーツは着ておらず、チャイニーズの礼服をまとい、モノクルを掛けている。邪魔になると判断して、肩を過ぎたあたりまである黒髪はみつあみに束ね、天使族の象徴である背中の翼は不可視状態にしておいた。
 それが幸いして、人ごみの中を詰まることなく、彼はそのレストランまでたどり着くことができた。
 看板には大きな龍のモチーフ像。
 レストランの名前は普段絶対に使わないような漢字が、更に手を加えられて読みづらくされているが、彼にはさほど問題ではない。
 なれた手つきで引き戸を開けて中に入る。
 
 男――クァンヴァント・ラーデは、都心区の近くに位置する中華街に居た。


「ah!……誰かと思ったわ」
 店に入った瞬間、レジにいた女性に声をかけられる。サイドに作られたおだんごの頭と赤いチャイナドレスは雰囲気抜群で、この中華街にあるレストランには似合いすぎるほど。おまけに類をみない美人である。
 少しだけつり目なのだが、シルバーのアイカラーを上手く乗せているのできつい印象はなく、すっきりと通った鼻も、形の良い唇も、まるで造られたもののように美しく整っているのだ。
 クァンヴァントはその声に意外だという表情を見せ、
「君の注文通りにしてきたつもりだったが……気に召さなかったか? ベルガモット」
「確かに『チャイニーズに見えるような格好で来てくれると嬉しいわ』とは言ったけど、まるで別人。それに……水臭いわね。いつも通りにベルでいいのに?」
「久しぶりだからな。君の本当の名前を忘れると困るだろう」
「…………Affected……相変わらずキザ野郎なのね」
「キザ? どこが?」
「……そういうところよ」
 レジから出てきたベルガモットが、店の入り口に立ったままのクァンヴァントを手招きした。
「二階で話をしましょう」



 クァンヴァントがベルガモットに呼び出されたのは数日前だ。
 業務用ではなく、個人的に引いているオンライン・サーバにメールがたった一通入っていたので、相手はすぐに誰だか検討がついた。
 その内容は至極簡単なもので、チャイニーズらしい扮装をして、ヘヴンズの人間だとはばれないように店まで来てくれ……というものだった。

「なかなかいい部屋だな」
 二階の部屋に通され、クァンヴァントがもらしたのはそんな一言だった。
 レストランの客用ではなく、経営者用の部屋だ。
 ほんのりと灯る証明に、赤い壁。金で装飾されたガラステーブルと黒のソファがどっかりとゆとりをもって置かれていた。
「ここは中華街でも一等地……さすがはオーナーというところか」
 添えつけられたチェストの上の、これまた金で装飾されている雑貨や香を眺めながらクァンヴァントが言う。それにベルガモットは、
「でも、そのオーナーがレストランでレジ係りのおねーさんをやってるなんて、誰も思わないのよね」
「大丈夫なのか、レジは? この時間だとこれから混むだろう」
「No Problem.バイトの娘にまかせたわ。……まあ、そのあたりにでも座って頂戴」
 ベルガモットが促したので、クァンヴァントは素直にそれに従いソファに腰をおろす。
 彼女はその間に、紅茶を用意していた。
「本当に久しぶりだわ……ねぇ、最後に会ったのは……どれくらい前だったかしら」
「3年前だろう。確か君の誕生日に」
「よく覚えてるわね」
「長い付き合いだからな」
「あなたはちょっとふけたわ。ああ、店のスイカあまってるの。食べない?」
「いや、遠慮しておこう。先週まで毎日食べていたからな、うんざりだ」
「……めずらしい……自分からはあまり食べないって言ってなかったっけ?」
 くすり、と笑うのが、彼女の背中の様子ですぐわかった。
「部下が調査土産に大量に持って帰ってきた。腐らせるのも勿体無いだろう」
「それで毎日? なんだ、食わず嫌いだったのね」
「ベル。私も暇ではない。他ならん君の頼みで有休をとったんだ。できれば迅速に話を進めたいのだが。構わないか」
「Oh,sorry」
 ベルガモットがティーカップを運んでくる。トレイには茶菓子も少し乗っていた。 
「今日突然呼んだのは他でもないのよ。あなたに頼みがあるの」
「それはまた単刀直入だな……とはいえ、私も予測していなかったわけでもない」
「……こういうことを回りくどく言うのはあまり好きじゃないから、私も手早く説明するわね。……両親に会ってくれないかしら」
「……どういう意味だ?」
 怪訝な顔をしたクァンヴァントを面白そうに覗き込みながら、彼女は少し悪戯な表情をした。
「あなたに私の婚約者を演じてほしいのよ」
「……断ろう」
 ティーカップに手もつけずに、クァンヴァントは立ち上がる。
「Wait! ちょっとちょっと、待ちなさいよ。普通はここで理由を聞くでしょう?」
「聞かなくともわかった。どうせ君の親が婚期を逃した娘に縁談を持ちかけたものだから、私を婚約者だと偽って会わせ、その縁談を断ろうという算段だな?」
「婚期を逃したって……あのね! 私はまだ27よ! これからなのよ! 大体あなただって独身のくせに」
「どのみちくだらんことに違いはないだろう。メールがあまりにも簡潔すぎたので何か話しにくいわけでもあるのかと思えば……私は本社に戻る。すっかり忘れるところだったが、今日は確か部下が始末書を提出する期日だったはずだ」
「そんなこと言わないで協力しなさいよクァンヴァント! 昔つるんでたよしみじゃないの!」
「引き受けられることならそうしよう」
「ってそんな……! ……殺生でござるよ!」
「……君は一体どこでそんな言葉を覚えてくるんだ?」
「TVでやってたのよ。この台詞をいうと必ず正義のお侍サンが助けてくれるのよね」
「そんな子供のようなことを言ってないであきらめるんだな。三文小説のような芝居は御免だ」
「I promise give reward to you! それでどう?」
「……今。なんと言った?」 
 去ろうとしたクァンヴァントは立ち止まった。
 彼女の流暢な英語の意味がわからなかったわけでもないし、聞こえなかったからというわけでもない。
 確認するためにもとの位置まで戻ると、ベルガモットの目の前に立つ。
 頭一つか二つ分背の低い彼女は大きく深呼吸したあと、古い知り合いを見上げて、今度は日本語ではっきりと告げる。
「だから、[『報酬は与えるわ』と言ってるのよ」
「……与える、とは随分な言われ様だ」
「頼みをきいてくれるわよね? クァンヴァントだもの」
「いいだろう。丁度オフィスに置いていた水槽に新しい熱帯魚を住まわせようと計画していたところだ」
 その返事を聞いたベルガモットは、満足そうに目を細めた。








「まいったな……中華街っつってもかなり広いぞ……って白雪! お前何呑気にゴマ団子なんか食ってんだよ、人が部長探して右往左往してるってのに!! なんのためについてきたんだ!?」
「……おいしそうだったのでつい。このゴマ団子なら、あそこの屋台でも売ってますよ」
 中華街の一角。
 リセはめざとく白雪の口にしている小さなゴマ団子を見つけると、即座に食って掛かった。
 どうも最近は彼女の行動に突っ込むことが多くなった気がするが、考えると頭痛がするのであまり気にとめておかないことにしようと思っている。
 しかしなかなか上手くはいかないものだ。
「ンなことはどーでも……、だからっ……お前なんでついて来てんだよ……本社にいればいーだろに」
「私はリセさんのお役に立てればと思いまして」
「嘘つけよ! ……わかった、つまりアレだな……俺についてきて中華街をうろついて、昼飯なんかおごってもらおうっつう魂胆だな!! 見え見えだ!」
「いえ、もう既に」
「は?」
 不審に思ったリセがスラックスのポケットを探る。
 そこにあるはずのものがなかった。
「……俺のクレジットカード!?」
「はい、ここです」
 無表情で、白雪が金色のカードを取り出す。そのカードにはリセの顔写真と、IDナンバーが刻み込まれていた。ヘヴンズで登録して作ったものだ。
「いつのまに!! まさかゴマ団子を!?」
「ええ。こちらで支払いました。あのお店の方は親切ですね。兄だと説明しながらリセさんを指さしたら快くお団子を売ってくれましたよ」
「悪びれずに嘘八百を説明すなー!!」
「そんなことよりリセさん、部長を探すのでしょう。さっさと終わらせましょう。そして昼食を」
「お前が言うな! 仕切るな! 昼飯はお前がおごれ!」
「叫ばないでください、集中力が途切れます」
 きっぱりとリセを無視して、彼女は中華街の雑踏の中をうつむき加減に立ち止まる。
「知覚(パーセプション)……」
 ぽつりとつぶやくと、白雪の瞳のほんの数ミリ前に小さな小さなウインドウが開いた。
 高速でそのウインドウに文字の羅列や図形が流れると、わずか数秒で、それが途絶える。

 白雪のアビリティ、『知覚(パーセプション)』だ。

 アビリティとは、天使族や悪魔族が行使できる人間にはない能力のことである。個人個人によって使える種類や能力自体の差があり、白雪の『知覚(パーセプション)』とは、彼女がある程度の構造の理解を得ている生物や物体の位置を探索、特定等できるものである。
「……おい、白雪」
「……部長……私達に場所を探られたくないようですね」
「……なんだって?」
「私の知覚(パーセプション)は特定の物体および物質を捉えることがほぼ確実に可能ですが、この能力は生物……とくに人種にはたいして有効なものではありません」
「それでお前は部長の場所を特定できないってか?」
「理由はもうひとつあります。今、私の知覚(パーセプション)は途中で遮断されました。私が止めたのではなく、別の能力によっての中和です。恐らくなんらかの別のアビリティで、『知覚(パーセプション)』が及ばないよう防がれています」
「ナルホド、つまりもしかしたら部長が、その中和を行ったのかもってことか」
「ええ。この中華街の中でそのような妨害をしている異種族が他に存在するだけかもしれませんが。公私混同をしないだろうクァンヴァント部長なら考えられますし、その能力(アビリティ)を持っていることも、頷けます」
「…………う〜む」
「と、いうわけでリセさん……」
「……そうだなぁ、帰るか……? もーいーや、始末書なんて……第一部長が有休なんかとるから悪いんだ。俺、昨日から徹夜で疲れたしさ……久しぶりのオフだし、寝るわ」
 リセが踵を返し始める……が。
「何を言ってるんですか。帰りませんよ」
 白雪は真顔だった。もっとも彼女は、普段からその表情を崩すことは滅多にないが。
「……は?」
 気が抜けて眠気モード準備万全のリセは、間抜けな声を発する。
「気にならないんですか。どうしてそこまでして部長が私達に居場所を悟られたくないのか……」
「……え? はぁ、まぁ……ってか部長がお前の知覚を邪魔したかどうかは特定できないだろ? 可能性は高いけど」
「可能性ならかなり高いでしょう。知覚を防ぐなんて、そう簡単なことじゃないですし。部長以外にそんな能力(アビリティ)を持ち得る異人種は、ヘヴンズかヘルズ関係者以外の一般人になんて、そうそういません」
「…………えー……でもなぁ……俺かなり疲れてるし」
「もしかしたら部長はこっそり豪華なレストランで食事をしているかもしれません」
「ンなこと別にどーでもいーし」
「私達に内緒で古代遺物(エンシェント・アイテム)調査、というのも考えられます」
「公私混同しないんだろ、部長は? 確かに中華街っつったら『審判の日』よりもずっと前からあるし古代遺物(エンシェント・アイテム)っぽいものが骨董屋から出てもおかしくはない。でもだからってそれ、部長みたいな人が有休つかってまですることか?」
「あの人ならやりかねないように思います。でなければ……昔の恋人との逢瀬……とか」
「…………昔の恋人?」
「逢瀬ですよ」
 普通の少女なら、こういうときキラキラと瞳を輝かせて熱っぽく語るのかと思いきや、白雪はあくまで真面目な顔のまま繰り返した。
 それまでは大して彼女の言うことを真に受けなかったリセだったが……
「……昔の恋人か……」
「リセさんも興味があるようですね」
「…………いや、……別に?」
「……本当にそうでしょうか」
「…………」
 しばらく二人の間に沈黙が流れる。
「……探すか、部長」
「ええ、始末書に印を押してもらいましょう」
 もちろんその白雪の台詞が本音でないことは、リセも十分承知であった。








 穏やかそうな笑顔を浮かべている女性と、やや厳しい表情でこちらを見据えてくる男性がクァンヴァントの目の前に座っている。
 ベルガモットのレストランの、二階にある特別客室だ。
 普段はVIP客しか入れないというその部屋には大きめの中華テーブルと、ベルガモットの部屋においてあったものと同じ、金の雑貨が飾られている。
 女性の方はベルガモットによく似て美しかった。
 黒髪をぴっちりと短くしているが、その髪に隠れずに見えているピアスが彼女にとてもよく似合っている。
 男性は初老といってもよい年だろう。しわのよった額は、もしや機嫌が悪いのかもしれない。それもそうだろう。自分が縁談を持ちかけた娘に、すでに婚約者がいるなどと聞かされたのだから。
そして、すぐに会いにこいとまで言われて、恐らくは急に呼び出されたのだから。


「ああ、安心してね。うちの両親二人とも日本語ペラペラだから」
「心配はしていない。南アラビア言語ならともかく英語か中国語なら話せる。嫌われるだろう予想はついてもな」
「かわいくない」
「男がかわいくてどうする。しかも私はもう30を超えているんだぞ」
 隣合うような配置で座ったクァンヴァントとベルガモットは、円卓の向かいがわに並んで座る彼女の両親に聞こえないよう、小声で合図しあった。
 テーブルにはウェイトレスが運んできた中華料理が並んでいる。両親の機嫌を損ねないように、ベルガモットが故郷の民族料理をわざわざ用意させたものである。
 すると、その料理に手をつけ始めた女性……ベルガモットの母親のほうが、先に口を開いた。

「ごめんなさいね……この人ったら無口だから、怒ってる風に見えるでしょう。気になさらないでね。本当は嬉しいのよ、娘に婚約者がいて」
「余計なことを言うんじゃない」
 彼女の台詞に、少しほほを朱に染めながら男性――ベルガモットの父親が口をはさむ。
 クァンヴァントはそれに対して苦笑いをした。
 彼らがここへ到着する前からベルガモットに仕込まれた様々な『設定』を思い出しながら、彼女の婚約者を演じなければならない。
 が、それは別段難しいことではなかった。絶対に守らなければならないことはたった二つだったからだ。

 ―― 一つ、ヘヴンズの関係者ということは内緒。もちろんヘブンズ本社で部長という役職に就いているだなんてのはご法度もご法度だ。

 ―― 二つ、決めた『設定』の通りの人物にできるだけなりきること。つじつまが合うようにしなければ、疑われる心配があるからである。

 その他の礼儀作法などについて、ベルガモットは何も言わなかった。
 彼女の両親がそれに対して無頓着なのか、あるいはクァンヴァントを信じてのことなのか……どちらにせよ、二つの事柄を守ればそれで良いようだ。
 クァンヴァントは小皿に炒め物を分けると、父親の方に差し出した。
「どうぞ、お父さん」
「……うむ。君にお父さんなどと呼ばれるいわれはないが、受け取ろう」
 こほん、と咳払いした彼は、言いながらクァンヴァントの差し出した皿を受け取った。
 隣で母親がクスクスと笑っている。
「もう、父さん。あまり困らせないで。彼だって緊張してるのよ」
 いけしゃあしゃあとベルガモットが言う。クァンヴァントは今すぐにでもこの面倒をやめてしまいたい衝動にかられたが、一度引き受けたからにはそれを放り出すのは信念に反した。
「そうよあなた。……ところで立ち入ったことをたずねますけれど、いいかしら?」
「……ええ。お母さん」
「フフ。なんだか照れるわねぇ……。……ベルから聞いたのですけど、食品会社の社長さんですとか……?」
「はい。主に中国山地で取れる山菜を輸出入しています。小さな会社ですが、故郷と少しでも繋がっていたかったものですから……でも日本に来て事業を始めてよかったと思っています。収入も創立時に比べれば驚くほど安定しましたし、何より、山菜を扱っていたことがきっかけで彼女に出会えましたから」
 クァンヴァントはできるだけ感情を込めて、一気に話し切った。
 本当はひとつひとつ質問をされてから、同じようにひとつひとつ答える計画があったのだが、もうこの際で、さっさと終わらせられるものならそうしたいと考えていたのだ。
「やだわ、クァンヴァントったら」
 照れた表情を浮かべるベルガモット。これも計画の通りだが、彼女の演技ははまりすぎている。
 その表情のままベルガモットは、自分の父を見た。
「ってわけで、私達もうすぐ結婚しようねって話ができてるのよ」
「しかしベル。お前はこのレストランのオーナー、かたや彼は山菜輸入会社の社長だろう。結婚してもお互い職を持っていたら苦労するぞ。お前にはもっと金持ちの……貴族の御曹司からの見合いの話も……」
「父さんっ! 私、好きでもない人と結婚なんてイヤですからね!」
「そうよあなた。ベルには恋愛結婚をさせると話し合ったじゃないですか」
 ベルガモットと母親が、父親に同時にけしかけている。
「し、しかし……彼は異人種ではなく普通の人間だという話だし、ベルガモットは悪魔族なのだぞ。そんな二人が上手くいくかね?」
「まぁ! そんなもの、どんな障害だというのあなた。愛する二人に種族の違いなど関係ないわ。むしろ私は、ベルが異人種ではなく普通の人間の方を選んだことは、ある意味当然だと思うわ。もう種族がどうこうという時代じゃないもの」
 母親が熱っぽく語る。

 クァンヴァントはここぞ、とばかりに頭をさげた。もちろん、計画の一部だ。
「お願いしますお父さん……私にベルガモットさんをください。必ず幸せにします。……今すぐ会社の社長を辞めるわけにはいきませんが……しかし私は、彼女を心から愛しています。彼女には私以外の男性からもアプローチは多いのです……。しかし私は、彼女を他の誰にも奪われたくありません。確かに私はアビリティを持たない人間ではありますが、このレストランと彼女をこの先も守っていくことを誓います……どうか、認めていただけないでしょうか」
「……な、なんと……」
「まあ……」
 目を見開く父親と、うっとりした表情でクァンヴァントを見つめる母親。その様子に罪悪感こそ感じなかったが、後ろめたいような気持ちを抱えながら、クァンヴァントはベルガモットをちらりと見やった。
「……Wonderful……信じられないわ」
 あたりまえだ、と口には出さずに、クァンヴァントはベルガモットに心の底から答えた。

「……そうか。そこまで決意は固いのか……」
「あなた……」
「そうだな、お前」
 なにやら母親と父親が顔を合わせている。そして二人は頷きあうと、料理を口に運ぶ手を止めて、しっかりとこちらを見た。
「……クァンヴァント・ラーデさん……娘をどうかよろしくお願いします」
「……お父さん、それでは」
「ええ。あんたは見事な若者だ。ワシはこんな感動的なセリフを聞いたのは初めてだ。妻にもこんなプロポーズをすればよかったとすら思ったほどだ……ああ、ワシのプロポーズの話なら、つまらんので聞かんでくれ」
 感無量とばかりに、父親が少し微笑みながらそう言った。
 クァンヴァントにしてみれば、それらしいセリフを並べてみただけであったが、いたく感激されてしまったことを悔やむ。
「……とにかく。娘がどこかのちゃんちゃらな若造にだまされたとばかり思っとった。しかしそれは間違いだった……あんたは前向きな向上心あふれる人だ。そして自分の信じた道をきっとあきらめずに進んでいける人なんだろう……今の言葉から、ワシはそれを感じた。すまない……この通り詫びさせてくれ……そして、どうか……ベルガモットを幸せにしてやってほしい」
「……私からもお願いします」
「……お父さん……お母さん」
 ……計画は順調。むしろ、成功と言っていいだろう。
 クァンヴァントは胸を撫で下ろした。
 ……しかし……
「それで……あんたさんのご両親にぜひお会いしたい。いつがよろしいかな?」
「と、父さんっ!?」
 素っ頓狂な声をあげたのはベルガモットだ。
「いいわよ、そんな」
「いいわけないだろう、きちんとご挨拶を」
「そうよ、ベル。あなたみたいなハネッ返りをお嫁にもらっていただくのに、黙っていられないわ」
「でも……ク、クァンヴァント!」
 ベルガモットが突然、手を引く。
 そして小声で心配そうに告げた。
「あなたの両親も協力してくださるかしら」
「馬鹿をいうな。私ですら報酬がなければこんな茶番をやらかしたりしない」
「なら、いくらならOKなの?」
「そういう問題でもないだろう。こういう展開がくることを頭にいれていなかったのか、君は」
「だって、納得したらすぐ帰ると思ってたんだもの! 大体私は両親に婚約者としか言ってないわ。何も今すぐ結婚するわけじゃないのよ」
「しかし君のご両親はその気満々のようだが……?」
「……Ahhhh……っ……そうだわ!」
 ベルガモットがクァンヴァントの腕を放す。きっ、とすばやく彼女は両親を振り返ると、勝ち誇ったように言った。
「ねえ、母さん、父さん。クァンヴァントの両親はね、残念だけどお亡くなりになってるのよ……だから、会うのは無理よ。ああ、本当はこんなつらいことは言いたくなかったけれど」
 わざとらしいが、一応筋の通った説明をするベルガモット。
 それに納得したのか、彼女の両親はそれこそ気の毒そうな顔をし、
「あら……それはとても残念ね……では、お墓参りを」
「そうだな、みんなでお墓参りに」
「……って……」
 ひくひく、とベルガモットの美しい顔がゆがんだ。無理もない。墓穴を掘りまくっているのだ。
「そういうわけだ、クァンヴァントさん。ご両親のお墓はどこに……」
「……それが……」
 ここまでくると、潮時だろうか。
 別に、墓が遠くにあるから、とか、とても人には言えない事情で墓の場所を明かすわけにはいかない、とか、理由はいくらでも思いつく。
 しかし、この厳格そうな男性がそれを聞いて、『クァンヴァント』という人物に不信感を抱いてしまえばまずい。
 クァンヴァントが苦虫を噛み潰したような表情になった、その時だった。

 空気のよどむ音――つまりは爆音が、中華街に轟いた。







「衝撃(インパクト)! レベルブロンズ!!」
「ぎゃああああっ!」
 爆音と叫び声が同時に響く。
 リセが手のひらに集中させた光の渦を、悪魔族の男に向かって放ったのだ。
 間一髪で男はそれを避け……いや、リセが直撃しないようにコントロールしたのだが……、人ごみを掻き分けるようにして入りこむと、こちらを撒くつもりなのか走り出した。
「待て! この万引き犯!!」
「いまのそのセリフ、万引きというあたりがマヌケですね」
「あのな!」
「冗談です」
 さらり、といってのけると、白雪がスーツのポケットにさしていたボールペンを取り出した。
「実現(リアライズ)、変換条件>七魂(ななたま)」
 静かに唱え、彼女がボールペンに意識を集中させると、それはピンと美しく弦の張った弓と矢に変形する。
「彼に目印をつけます……」
「ああ、頼むぜ白雪。……ったく、休みだってのにまた犯罪かよ」
 白雪が殺傷能力のない弓を放つとともに、リセは地をける。雑踏は何事かとことらの様子をうかがったようだが、いつものことだ、気にしてる場合ではない。
 悪魔族の男は、丁度リセ達がクァンヴァントを探している際に見咎めた万引き犯であった。
 骨董屋の店先で、それはもう古そうな、青銅の置物を奪って逃走したのである。しかも奪い方が尋常ではなかった。
 彼は白雪と同じ『実現(リアライズ)』能力を使い、吸盤のついた弓で置物を狙うと、釣をするように持ち上げたのだ。
「普通の人間の万引き犯も見逃すわけにはいかないけど……相手が悪魔族ってならバッチリ俺らの範疇だ」
 つぶやきながら、リセは男の後を追った。
 後ろから白雪もついてきている。
「リセさん、矢は男を捕獲しました。南東の方角を逃走中です」
 知覚能力を行使している彼女が告げる。リセは頷き、
「よし。袋のねずみにするか。人が多いし、被害は最小限にとどめろよ」
「さっき飛び技を使ったリセさんにそんな注意を促されるとは思いませんでした」
「お前イヤミ言ってる場合かよ!! ンなもん俺だって被害総額のこと考えたら衝撃(インパクト)は使いたくないけどさ……しかたないだろ! 早くて軽くて威嚇に最適なのはアレくらいなんだ」
「ええ。しかたありませんね。……ところで何をムキになっているのか知りませんが、、余計な感情は仕事に支障を来たしますから控えてください」
「ぅわ……本気で殴りてぇ」
 ……と、そんな会話を展開しながら、二人はとりあえず中華街の南東に向かった。