不器用なたまご酒
1
[風邪(かぜ)]
鼻・のど・気管などのカタル性炎症。
くしゃみ・鼻水・鼻詰まり・のどの痛み・咳(せき)・痰(たん)や発熱・頭痛・倦怠感(けんたいかん)などの症状がみられ、かぜ症候群ともいう。
――大辞泉より抜粋。
『……で、さすがにこれだけ熱がでると……有休使おうと決心したわけで…………すみませんけど、部長……』
「ああ、わかった」
そう返事をして……クァンヴァントはモバイルモニタの前で笑いをこらえた。
画面の向こうに、顔を赤くして巨大なマスクをつけた部下の顔が映っている。
それがなんとも言えず、可笑しかったのだった。
すると、相手――小林梨世(こばやし・りせ)が、今にもかすれそうな声で抗議をする。
『何が可笑しいんですか……!』
肉声ではなく通信なので、多少の音声の崩れはあるものの……その声は確かに枯れかけていた。
本部長室は広く静かなのでまだ良かったが、これが一課のオフィスだったとしたら聞き取れなかっただろう。
クァンヴァントはサングラスに蛍光灯の光を反射しながら、
「いや、すまない。君のそんな顔を見るのは久しぶりだったからな。何、少し昔のことを思い出したまでだ」
『……どうでもいいですけど、本気でつらいので、今日は休みます……白雪によろしく伝えてください』
「ああ、わかっている」
言って、通信を切った。
くるりと、座っていた肘付きの豪華な椅子を回転させる。
彼の脇には、美しいエメラルドの瞳をした、まだ15歳ほどの美少女が立っていた。
左に一部長い部分を残して、あとの黒い髪を短くそろえている。
クァンヴァントは彼女に言った。
「……と、いうわけだそうだ、白雪。君のパートナーであるリセは風邪でダウン。どうせ君自身もここのところ休んでいないのだろう? 今日は帰ってもかまわないぞ」
白雪は一度だけパチクリと瞬きをした。
そして、手にしていたデータディスクをクァンヴァントのデスクに置きながら言う。
「私は特に体調も悪いというわけではありませんので、仕事の続きをします」
「熱心だな。しかし、たしか今日はリセと行動を共にする予定ではなかったか?」
「ええ、そうですが」
「どうするつもりなんだ?」
「手の空いている方に助勢を」
「あいにくだが、今日は誰も手の空いているものなど……」
言いかけたが、クァンヴァントはそこでふと、思いついた。
デスクに備えつけてある小さなボタンを押すと、数秒だけ呼び出し音が鳴る。
しばらくして、デスクの中央にホログラム映像が現れた。
そこにまだ若い女のエージェントが映し出される。
「私だ」
とクァンヴァントが言うと、女性のほうも口を開いた。
「クァンヴァント部長? ……二課になにか御用でしょうか。本日のスケジュールはすでにご報告いたしましたが」
「ああ、報告は聞いている。それとは別に確認したいことがあったまでだ……大林永遠(おおばやし・とわ)は、今日、非番だな?」
「大林ですか……? ええ、そのようになっていますが」
「感謝する」
プツリ。
そんな音がして、通信は途絶える。
「とりあえず、一人ヒマなのを確保できたが……」
白雪を見ると、彼女はしばらく間をあけてから、こくり、と頷いた。
「せっかくですので、帰りにリセさんのお見舞いに行こうと思います」
「……ふむ」
クァンヴァントは考えた。
白雪とトワ……彼らの見舞いが見舞いになるかどうかなど、目に見えている。
「あまり推奨しないが、まぁ、同僚同士仲が良いのはいいことだな」
少し口元をほころばせると、白雪は深くこちらに一礼して、本部長室を出て行った。
ピンポーン……。
と、チャイムの音が聞こえたのはわかった。
うっすらと開かれたカーテンの隙間から、朝日が零れ落ちているのも感じる。
しかし、起きようとは思わなかった。
昨夜は調子にのり、オンラインゲームで徹夜をしてしまったのだ。まだ睡眠が十分に足りていない。
トワは寝返りをうって、チャイムの忌々しい音を無視した。
すると、また聞こえる呼び出し音。
ピンポーン。
当然、無視した。
もう一度寝返りをうつ。
シーツが波立つ上に大の字になる。
ピンポーン、ピンポーン。
今度は連続だ。
朝も早く……というわけではないが、まだ寝ている人間がいてもおかしくない時間だというのに、あきらめの悪い訪問者がいたものである。
トワは無視を決め込んだ。
これだけシカトしていれば、相手もこちらが留守だと思ってさっさ帰るだろう……と思ったのだ。
が……。
ピンポンピンポンピンポンピンポン!
ぴーんぽーぉぉぉん!
「だぁぁぁぁ!! うっさいわ!!」
思わず、声に出して起き上がる。
Tシャツにトランクスという格好のまま、トワは玄関まで荒々しい足取りで移動した。
手前にある液晶に、ドアの向こう側の映像を映し出す。
そこには見たことのある顔が映っていた。
黒髪のショートカット。エメラルドの瞳。
いつもと相も変わらない、無表情。美少女なのだが、この表情がそれを邪魔しているように思える。
彼女はじーっとこちらを見つめている。
まぁ、つまりは、トワのマンションのドアに取り付けられている、小型カメラを見つめているわけだが。
あまりにもじっと見つめられるので、画面ごしではあったが、トワは何か気まずくなってきた。
鍵を外すと玄関の扉を開ける。
「姫野か!? なんだよ、わざわざ!」
「おはようございます」
「え? ああ、まあ、オハヨーサン」
「風邪をひきましたので」
「は?」
まだ完全に回っていない頭をぼりぼりかきながら、トワはそれでも彼女の――白雪の言わんとしていることを理解しようと努力した。
「風邪? だったらオマエ、家帰って寝てろよ」
「いえ、私ではなく、風邪をひいたのはリセさんです」
「……で?」
ますますワケが分からず、首をかしげる。
すると、白雪の緯線が何故かトワの下半身に移動した。
「トワさんも風邪を引くおつもりのようですね」
「は!? ……げっ!?」
チェックのトランクスをTシャツのすそで隠し、トワは部屋に駆け込んだ。
とりあえず手短にあったジャージを穿く。
再び玄関のほうを向くと、すでに白雪が中に入ってきていた。
「お掃除はしたほうがいいですよ」
無表情のまま淡々というと、彼女は勝手にトワのいるリビングまでやってきて、
「部長の許可はおりています」
と、またわけの分からないことを言う。
「ちょっとまて。言ってることが全くワケわからん。まず俺様に丁重に説明しやがれ、姫野」
「お茶が出るのなら」
白雪がぽつりとつぶやいた。
トワは立ち上がり、グラスと、冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出した。
だだん、と激しい身振りで白雪の前においてやる。
「で? ヘヴンズの制服のまま、わざわざ休暇の俺様のマンションへ来るったーどういう神経してんだコラ」
「ですから、風邪を引きましたので」
「リセが風邪引いたらオマエは俺のところに来る、なんていうキマリでもあんのかよ」
「キマリとは言いませんが、似たようなものです」
「はぁ?」
「私のパートナーであるリセさんがいないとなれば、代わりが必要ですから。部長に相談しましたら、トワさんがちょうど非番で手が空いていると言われましたので、お迎えにあがりました」
「お迎え?」
「本来ならば本日のスケジュールをリセさんとご一緒するはずでしたが……」
「……つまり、俺は、風邪ひいたリセのヤローの代わり……ってか?」
「ご不満のようですね」
「あったりめーだ! 大体、人がゆっくり寝てるところを起こしやがって! そのうえ、俺があいつの代わりだ? 冗談じゃねーや」
「……では、トワさんはご自分がリセさんの代わりには到底なれやしない、と。そうおっしゃりたいのですね」
「おい、聞き捨てならんな、今のは。誰が『到底なれやしない』だ。むしろ俺様のほうがリセにそういわれてしかるべきだろうが!」
「では、今日一日、リセさんよりすばらしい働きをしてくださるわけですね」
「おうよ、してやろーじゃねーかよ!!」
勢いよく、トワは立ち上がった。
そして気が付いた。
「…………オマエ…………俺様を丸め込んでないか?」
「気のせいでしょう」
スパっと白雪が言ったが、トワは釈然としない。
が、どうせもう、時は遅かりし由良の介。
「部長、トワさんを無事確保いたしました」
見れば白雪が、クァンヴァントに通信を送っていたのだった。
――20分後。
すっかり支度を整えて制服のシャツを着込んだトワは、白雪と共に車の中に居た。
白雪は運転免許を持ってはいない。
当然ながら、トワが自分の愛車を運転することになった。
小型車の外装はおしゃれなボックス型。
平日の大通りを低スピードで走りぬけていく。
ヘヴンズのエージェントに正式登録すると、運転免許は規定の年齢以下であっても取得することができる。トワは最近ようやく運転になれてきたところで、実質、この新しいマイカーの助手席に誰かを座らせることは初めてであった。
それでもさすがに何度か街をドライブしたかいがあって、運転に神経を使うことは減った。
白雪が隣に座っていても緊張することなどないし、会話のひとつや二つもどうってことはない。
もっとも……白雪は助手席に座ってから一度も口を開いていなかったので、その期待ははずれたが。
「……なぁ」
トワは白雪を一瞥して声をかけた。
だが、相手はまっすぐ前を見たまま、答えなかった。
「……なぁ、おい」
もう一度呼びかけるが、返事どことかこちらを向く気配すらない。
「……おいって!! ウンかスンかくらい、言ったらどうだ? 聞いてんのかよ?」
「聞いています」
車に乗ってから初めて白雪が答えた。
「聞いてるなら聞いてるで、反応がないと俺様も先に進められないだろっ」
「私の返事はお気にせずに。お話はきちんと聞いていますから」
やっと、白雪のエメラルドの瞳がトワを向く。
「……いや……別に今すぐに話があるわけじゃねーんだけど……」
トワは困った顔で言った。
その言葉に、白雪は何も言わずにまたフロントガラスを見つめだした。
沈黙の中に、エンジンの音だけが聞えている。
正直、トワは居心地が悪かった。
――白雪は、変わっている。
それは以前からよくわかっていた。
同じ捜査課というカテゴリに分けられている自分達だが、それでも一課と二課、普段会うこともあまりない相手である。
だが彼女は有名人だった。
捜査一課が誇る、優良美少女エージェントとして。
ただし、『無口』で『無表情』で『愛想が無い』という三大要素が彼女を「人気者」にはしていなかった。
有名人は有名人でも、風変わりのレッテルを張られている有名人なのだ。
それも、仕事のパートナーが、幹部達の注目の的にある小林梨世という「秘蔵っ子」だというのだから、余計にこの二人は目立っていた。
トワもついこの間、この二人と一緒に妙な屋敷の調査をする、なんていう仕事をしたばかりだ。
リセとは面識もあるし、「ライバル」だと思っている手前とっつきが悪いことはなかった。
だが白雪と言葉を交わしたのはあれがはじめてだった。
何も違和感はなかったし、『美少女』だが『無表情』という噂は本当だったのだ、とは思ったのだが……。
『無口』かといわれれば、そうでもなかった気がする。
それに彼女には弱点があるのだということも、少しだけわかった。
つまり、なんだかんだ噂が立っているがそれは全てではないと、トワは白雪に対して悟ったのだ。
しかし今のこの状況はどうだろうか。
彼女を隅から隅まで知っているわけではない。
だが、どうも、この間の屋敷の調査のときとは態度が違う気がした。
無口と無表情と無愛想に拍車がかかっている……ような。
ついさきほどトワを迎えにきたときは、それでもきちんと迎えに来た理由を話したくせに、今の彼女ときたら返事の「へ」の字もする気がないのか、ただ走る車の外の世界をじっと見つめているだけである。
「なぁ、何か話せよ」
あまりにも気まずいので、ついにトワのほうから切り出した。
白雪はこちらを見て、瞬きをする。
「何か必要なことがあればお話します」
「必要以外は話さないつもりなのかよ?」
「大概は」
「大概は……ってそういうコトじゃなくてさー……」
「私がトワさんに説明しなければならないことは、先ほど全てをお伝えし終わっていますから、他に何かあるとは思いませんが」
「……これからCブロックの支部局に行って、俺様はあの情けない風邪引きリセの変わりにワンダホーな挨拶をぶちかましたらいいーんだろー? それは聞いたけどさ……」
「では、その通りに行動しましょう」
それきり、また白雪は黙ってしまった。
トワもあきらめて車を運転していたが、目的地のCブロック支部局の地下駐車場に車を停車させようとしたとき、白雪が急にこんなことを切り出した。
「あ、帰りにリセさんのお見舞いに行きますので、付き合ってください」
トワは何か叫びそうになったが、危うく駐車場の柱にバックで突進しそうになって、寸でのところでハンドルを切る。
必要最小限の言葉しか発しない白雪。
どうやら、お見舞いとかいうその予定は決定事項であり、彼女の中では「必要」とされている事柄らしい。
「冗談だろ!?」
「いいえ」
「マジかよ……」
「マジです」
「俺様はリセなんぞを見舞うという行為の価値がわからん。というわけでフケるぞ」
「……どうしてもとおっしゃるなら止めはいたしません。ただし、この予定は部長に報告済みだということをお忘れなく」
静かに、静かに……本当に静かに彼女は言った。
それは、普段白雪がリセをからかうときに使う言葉遣いとは全く違った。
なんなんだこいつ。
わけわかんねー。
ほんの少しの怒りさえ覚えながら、トワは白雪が車から降りるのを見ていた。
今日は厄日だ。早く家に帰って、ゲームの続きがしたい。
でも「部長に報告済み」ということはつまり「サボリは職務怠慢」にされてしまうということだ。
職務怠慢……イコール、減俸、もしくは降格。……それは困る。
ますます、トワは憤慨しかかった。
……が、とりあえず、吐き気のするくらい仕事にくそ真面目なライバルのことを思い出して……Cブロック支部長の前では、なんとか愛想よく過ごした。
リセより役立たずになるのは、ごめんこうむりたかったのだ。
「じゃあ仕事も済んだことだし、お前の言う見舞いとかにつきあってやってもいいぞ」
Cブロック支部局を出て、トワは白雪に言った。
実際仕事といっても、支部長にニコニコ笑っているだけですんだのだ。
他は全て白雪がなんとかしていたので、トワは楽なものだった。
そのおかげもあって、機嫌はさきほどよりもいくらか良い。
「で、どうするんだ?」
尋ねると、白雪は落ち着いた様子で話し始めた。
つんけんした態度でもなく、それは本当に普通の女子高生のようなそぶりだった。
相変わらず、顔は無表情だったが。
「では、買い物に行きましょう。リセさんの昼食に何が良いか、リストは作ってあります」
「へー、手際のいいこって」
「この近くに商店街がありますから、そちらで材料を買って、リセさんのマンションへ向かうのが良いでしょうね」
「材料だ? ……姫野が作るのか?」
「トワさんが作ってくださるというならば賛成しますが」
「いや、俺は料理できねーもん。お前できんの?」
「自信を持つほどではありませんが、食べるものを作るくらいのことは」
「……なんでリセなんかのためにそこまでしてやるんだよ」
「パートナーですので」
白雪は即答した。
二人は会話ひとつなく、歩いた。
トワはこのあたりの地理に弱かったので、結局これも白雪まかせになった。
彼女はモバイルの地図を周りの景色と照らし合わせながら進んでいく。
その様子だけを見ていると、ヘヴンズの制服を着ているとはいえ、本当にただの15歳の少女に見えた。
顔は変わらないのに、一生懸命な様子がうかがえる。
リセは確かに白雪のパートナーだが……。
本当に、パートナーだからといってここまでする理由があるだろうか。
トワは考えたが、イエスともノーとも決めがたい。
それほど姫野白雪という人物を知っているわけではなかったからだ。
しばらく歩くと、人で賑わう通りに出た。
アーケードの下に買い物袋を提げた人間がうじゃうじゃと居る。
「ここが商店街か? あ、ゲーセンがある!」
トワのその言葉に、白雪が目を向けた。
その瞳がスっと細まる。
「別に、遊ぼうとか思ってねーよ! 材料買うんだろ。わかってるって。俺様をだれだと思ってンだ? 人情厚い大林永遠様だぜ?」
「関係ないと思います。……とにかく」
白雪がモバイルを閉じた。
そして、アーケードの続くずっと奥を指差し、言う。
「トワさんは、卵をお願いします」
「たまご?」
「一番奥に、養鶏場が一体になった卵屋さんがあります。そこで1ダース買ってきてください」
「こんな商店街に養鶏場があんのかよ! どんな卵屋だ」
「たった一羽の雌鳥が、卵を一日に驚くほど産むそうです。その卵がまた近所ではとても評判のよい卵で、色、形、味ともに評価しがたいほどの賛辞がささやかれているとか。雑誌に掲載されていました」
「へー。そんだけ言うなら、美味い卵なんだろうな」
「……では、よろしくお願いします。早めに行ってください、卵を売っているのはこの商店街ではここだけですから」
「あ、おい、姫野はどうすんだよ」
「私は他の材料を調達してきます。あとで、養鶏場まで行きますので、そこで落ち合いましょう」
「わかった」
ぐ、と親指を突き出して白雪に合図を送った……つもりだったが、彼女はそれも見ないでさっさと背をむけ、雑踏に消えてしまった。
「チェッ、ノリが悪いな……リセみたいに俺につっかかってくるわけでもないし、ホント付き合い難いったらありゃしねぇ」
こんなところで愚痴を言っても仕方ないのだが、思わず口にでる。
トワは大人しく養鶏場に向かった。
行きかう人々を見ていると、たまのオフだというのに自分は何をやってるんだろうと時折むなしくもなった。
「……でも、姫野のやつ熱心だったな……。あいつときどきカワイイとこあるんだけど、なんでいつもあんなにシケた顔してんだか……」
特に、今日は。
トワと一緒にいたときの白雪は、噂どおりの冷徹少女で。
「リセもリセだ。よく姫野なんかとパートナー組めるよな……意思疎通できてんのかよ?」
ハハ、と、まるでからかうようにトワは呟いた。
が、ふとひっかかるものを思いつき、足を止める。
「……意思疎通……? いや、つーか待てよ? リセと姫野ってなんだかんだ言って、パートナーとしては成績もいいしな。ある程度は意思疎通できてないと、そんなの無理だよな。……もしかしたら姫野って、俺とリセで態度違うってコトねーか? ……あるかも。いや、ある。絶対ある。なんだ? ひいきか? あいつが最年少エージェントだからか!? ……違うな、リセより姫野のほうが年下だったはずだ……今、最年少で囃されてるのは姫野のほうだし。じゃ、なにか? 姫野は俺を嫌ってるのか? だから態度があんなだとか……。うーん、それも違うな。今日みたいな姫野の態度は、俺以外にもヘヴンズの人間全てにああいう感じのはずだし…………」
目の前はもう養鶏場だった。
そんなに大きな建物ではない。
雌鳥が一匹しかいないというのは本当なのだろう。
こじんまりしたプレハブの店は、一回が販売店らしく、カウンターが見えている。
「……じゃあ、つまり……その逆? 姫野は、誰にでも無表情だし愛想が無い……けど、もしかしてリセに対してはそうじゃないってことか? だってそうだよな、ただの風邪だぜ? 普通こんな熱心に昼飯まで作ってやるかよ……」
養鶏場の店の前で、あれやこれやと考えをめぐらせる。
トワは、そのとき店の奥からまるまると太った男がこちらに近づいてきているなど、全く気がついていなかった。
それどころかどんどん思考の海に飲み込まれ、浮かび上がることができなくなってきたところだ。
「ただのパートナーなのにさ。それって……」
「たたた、助けてくださいーーーっ!!」
「ぉわぁあっ!?」
どすん、という音とともに、何か大きくて丸くて重いものがトワに突進してきた。
そのまま後ろ倒れになるが、とっさの判断力で両手を地面に着地させると、そのまま体を支え、ゆっくりと倒れこむ。
「いってて……何だ!?」
「助けてください〜〜〜!!」
「は? たすけ……? ……あんた、誰だよ?」
自分の体の上に、丸い物体……もとい、太った男がのしかかったような状態になっていた。
頭ははげて、サイドにだけ毛が残っている。
鼻の下には、最初はのりかなにかがくっついているのかとおもったが、それはヒゲだった。
ぼろぼろのポロシャツをきていてその上にはエプロン。
この男には到底似合いそうもない――実際は、何故か違和感がない――ピンクのエプロンだ。
そのエプロンには、「幡多養鶏場〜たまごとお友達〜」というロゴがついていた。
「……ああ、もしかして養鶏場の?」
トワが言うと、男は立ち上がり、目を輝かせる。
小さくてぬいぐるみの瞳のようなそれが、キラキラと輝く様は少し不気味でもあった。
「はい! そうなんです! ここの主人をやってます。あの、あなたはエージェントさんですよね!?」
相手もトワの制服のロゴを見て、すぐに気がついたらしい……というよりは、むしろ以前からトワをエージェントだと予想がついていて、その確認のために尋ねた……という雰囲気だった。
「実は店の奥からその制服が見えたものですから……!」
「ああ。俺様はもちろん、ヘヴンズのエージェントだけど?」
トワも立ち上がり、デニムについた土ぼこりを払い落とした。
「ああ、良かった!! 助けてください!」
男が両手を握り締めた。いつのまにかその合間にトワの片手が挟まっていた。
「……あぁ? 助けるって、何を?」
「盗まれたんですよ!!」
「盗まれた?」
「いえ、さらわれたんです!?」
「さらわれた?」
「ええ!そうなんです!」
「人質ってことか!?」
一大事である。
トワは、汗でムラムラと気持ちの悪い手で片手を拘束されていることを忘れるところだった。
「誰がさらわれたんだ!?」
「ブランマルシェです!」
「ブラ……? 奥さんか? 子供か!?」
「いえ、雌鳥のブランマルシェが!」
「って、にわとりかよっ!?」
握り締められた片手を振りほどき、トワは唾をも飛ばさん勢いで叫ぶ。
「ったく、ややこしい。ただの雌鳥にそんな血相変えやがって、いい大人が情けねえ。……いいか、そういう依頼は普通の警察にゆっくり頼むぜオッサン。俺は卵買って、情けない同僚のために、無愛想な同僚とメシ作らなきゃならんっつーヤボ用があるんだよ。どぅー・ゆー・あんだすたん?」
「そ、そんな! 私の養鶏場にはあのブランマルシェが必要なんです!」
「気持ちはわかるけどさ、別に慌てなくたって、雌鳥の一匹や二匹商売に関わるわけじゃな……」
そこまで言いかけて、トワは思い出した。
「……あ、そうか、姫野が言ってたな……」
ここの養鶏場のすばらしい卵は、そのブランマルシェとかいう雌鳥が一匹で産み続けているのだ。
「……よく考えたらそのブランマルシェってすごいニワトリなんだな」
「当たり前ですよぉ。昔、彼女の母親の雌鳥のダンナの雄鶏の母親の祖父の父親の母親の叔母にあたる雌鳥……が古代遺物(エンシェント・アイテム)を誤って飲み込んでしまって、そのままその雌鳥は『イレギュラー』になったんです。ブランマルシェはその血統を受継ぐ、現在世界で5羽しかいない貴重な雌鳥なんですから!!」
「……イレギュラー?」
「アビリティを持つ動物のことですよ。ほら、イレギュラー・クリーチャー。ご存知ないんですか? いろんな雑誌にもよく特集されてるのに」
「うーん、聞いたことはあるけど詳しくないっつー感じ……?」
雑誌といえば、白雪なら知っていたかもしれない、とトワは思った。
まぁ、どちらにせよここに居ないのだからどうでもいいことだったが。
「うう、ブランマルシェが居なければ、養鶏場も終わりですぅぅ……」
男泣きをする中年オヤジの目の前で、トワは腕を組んだ。
「……ちなみに卵は今どれくらい店に残ってる? 1ダースくらいはあるよな?」
「それが……」
主人の目がさらに潤んだ。
はっきりいって、いい大人――しかも、もう年の頃50を過ぎているだろう――がこんな風に泣き顔になり、トワにすがってくるような視線を向けているのは気持ちが悪かった。
が、そんなことを言っている場合ではないらしい。
「店には、今朝の分の卵しか……」
「それでいい! 1ダースくれ! あとは俺様が親切に警察へ通報してやるからっ」
「1ダースもありませんよ……! だって残っていたひとつはさっき最後のお客さんに売れてしまったんですから…………うう、最後のお客さん……もう終わりだぁぁっ」
とうとう、店の主人が泣き出した。
「だぁぁぁっ、うっとうしい! わかった! とにかく盗まれたブランマルシェの特徴とか判れば、なんとかしてやらんでもない」
卵かかってるしな……とトワは小さく付け加えた。
すると主人の表情がコロっと変わり、花が咲きそうな笑顔でこちらを向く。
「ありがとうございますっ!」
「礼はいいから。で、盗まれたときの状況は? 犯人の顔は? 性別は?」
「実は、ブランマルシェが居なくなっていることに気づいたのは、ついさっきなんです……いつもの通り養鶏場になっている店の裏側に様子を見に行ったときでした……。彼女の寝床がスッカリ空になっていて」
「……ということは、盗まれた……っつーか、さらわれた場面を目撃したわけじゃねーんだな」
「ええ……」
「やっかりだな……手がかりがゼロってことか? ああ、例えば、誰かに恨まれてるとか、そういう心辺りはないのかよ?」
「そんな……お天道様に顔向けできないようなことはこの56年間一度たりともありませんでしたし、人様に迷惑をかけるようなことも思い当たりません」
「……まいったな……俺考えるの苦手なんだけど。こういう面倒な事件は大抵一課のリセんとこにいくしなぁ……姫野が居ればいいんだけど」
トワが呟いたあと、それは背後から突然聞えてきた。
「私なら、ここに」
「姫野!?」
後ろを振り返ると、白雪が立っている。
「早いな、他の買い物もう終わったのか!?」
「早くありません。私達が別れてから悠に30分は経過していますし……ところで、そちらの方は、もしや幡多養鶏場のご主人では」
白雪も彼のピンクのエプロンの文字を読んだらしく、挨拶を交わす。そして、
「あ。はい、そうです……あなたもエージェントさんですか!? お若いですねぇ〜……」
そんな主人の言葉に、こくんとうなずいた。
そのあと、説明を求めるかのような視線をトワに送ってくる。
「あ〜……早い話が、卵ねーんだってよ。ここの看板雌鳥のブランマルシェが盗まれたらしくて」
そう答えてやると、一瞬、白雪のこめかみがピクリ、と動いたような気がした。
しばらくの沈黙のあと、彼女が口を開く。
「探しましょう。早くしないとリセさんの昼食に間に合いません」
「マジで!?」
「マジです」
「ああ、助かります!!」
3人の声が連なった。
「おい、姫野……犯人の手がかりもないし、この事件手間かかるぜ? リセの昼食つくるっていう理由がシャクだけどよ、間に合わねぇっていうなら、こんなことに時間つかってないで、別のスーパーで卵買えばいいじゃん」
「ここの卵でないとダメです」
「なんで?」
「美味しいからです」
「お前が食べるわけでもないだろーに」
「ええ。ですから、必要なのです」
「リセにってことか!? お前そんっっなにリセが大事なのかよ」
言ってから、しまった、と思った。
トワにしてみれば、別に他意はない、ただの売り言葉に買い言葉、会話の流れにしか過ぎなかった。
だが白雪は黙り込んでしまい、ただまっすぐな視線をトワに投げかけている。
それがどうにも、まずい気がした。
上手くは説明できないが、今のトワの心情を表すとしたら、まるで、地雷を踏んだような気分だ。
また沈黙が訪れる。
養鶏場の主人が、何故か緊張感溢れるこの場の雰囲気を読み取ったかして、ごくりと喉をならした。
それを合図にしたかのように、白雪が答える。
「…………大切です。だから、大切な人に食べさせる卵はここのものであるほうが望ましいのです」
と、はっきり言い切った。
その目は澄んでいて、とても美しかった。
「それに、ブランマルシェはイレギュラー・クリーチャーだったはず。放っておいてよいニワトリでないことは確かです。警察では手に負えないでしょうし、盗まれたのならばそれこそ早急に手をうたないと、どこかへ売り飛ばされて二度と戻ってこないということも……」
「ひぃぃぃ! ブランマルシェーっ!!」
「落ち着いてください、ご主人。必ず、ブランマルシェを見つけます。まずは、ブランマルシェの手がかりを提供してください。それから、居なくなったブランマルシェの寝床の調査も行います」
てきぱきと白雪がコトを進めた。
そして彼女は主人に買い物袋を預けると、一緒に店の中へ入っていく。
トワは……。
しばらくぼーっと突っ立っていたが、我に返ると店の中へと急いだ。