危険な幽霊屋敷



2


 靴音だけが、屋敷の廊下に響いている。
 築ウン十年であろう建物は老朽化が激しく、随時、ギシギシときしむ音も聞こえていた。

「この部屋で最後だよな。白雪、図面は完成しただろ? 現在位置わかるか?」

 比較的木枠のしっかりしているその扉を前に、リセが確認する。

「西側から4番目の個室ですね。屋敷の正面から見るとちょうど右の奥に位置します」
「ああ、ホントだ。窓から日没が見えてるな」
 もう光を失いかけている太陽を見て言うと、トワが長いため息と一緒に嘆き声をあげた。
「あ〜あ……店……今日中に取りに行きたかったのに、これじゃあ間に合わねーじゃん」
「店?」
「言ったろ。新作ゲーム予約してんだよ!」
 トワは言いながら、扉のノブに手をかけた。
 錆びた音を立てながらそれは簡単に開いてしまう。
 ズカズカとその部屋に彼はつっこんでいき、
「ったく……姫野が最初にぐずぐずしてなかったらこんな遅くならなか……」
 とそこまで言って、言葉をつまらせた。
「……おわっ!?」
 足元にあった何かにつまづいたらしく、ズシャリ、とトワが転倒し、砂埃がたつ。
「いってぇ!」
「おい、大丈夫かよ」
「顎打ったっつの。ちっくしょー、誰だよ、こんなトコにガラス球なんか置きやがって……」
「ガラス球?」
 リセはトワの足元に視線をやった。
 白雪が横に添う。
「……いえ。これは水晶玉です」
「……この屋敷に住んでたのは占い師か何かか?」
「そんな情報はありません」
 彼女はきっぱりと、こちらのセリフを否定した。
「いや、冗談だけどさ……」
「なんにしろ趣味悪くねぇ? こんなボロ屋敷に水晶玉がころがってるってさ……」
 
 トワがそう言った瞬間。
 その声は頭の上からまるで降り注ぐように、聞こえてきた。

『……占い師じゃないわよ〜。わ〜る〜か〜った〜わ〜ネェ〜……』


「なっ……!!」
「……!」
「なんだぁ!?」

 リセも他の二人も、同時に天井を仰ぐ。
 声にはエコーがかかっており、
『なんだぁ、じゃな〜い〜わ〜よ〜』
 ……と、どこか恨めしそうに続いた。

「おい、どっから聞こえてるんだよ、この声っ!?」
「落ち着けトワ……。とにかく、お前にも俺にも聞こえてるってことは『精神感応(テレパシー)』アビリティじゃない……肉声だ」
「だからどっからだって訊いてるんだこのスカポンタン!」
「……って、なんで俺がそんなことでお前にスカポンタンだの言われなくちゃなんねーんだよっ」
「うるせっ。こういう場合は緊急事態ってことで、お前が処理するんだろーが!?」
「は? じゃあなんだよっ、この声は『危険物質』だとか言い出すんじゃないだろーな!?」
「それ以外に何がある!?」
「バカ言うなよ! 違うだろーが」
「ンなことはどーでもいいんだよ! とにかくわけのわからんことが起きたらそりゃあお前の担当だろーが!!」
「って、お前が言い出しといてどーでもいいって……!」

『……あ〜の〜』

 なにやらエコーのかかった声がまだ聞こえてきていたが、今そんなことこそ、どうでもいいような気がした。
 リセはトワに向かって、血管が切れそうな勢いでまくし立てる。

「大体お前は勝手すぎるだろ!? もうちょっと協調性ってものを大事にしろよ」
「協調性だ? そんなもの重視してたら俺の超・素敵個性が主張できないだろーが」
「だから主張せんでいいと言ってんだっ!!」

『あ〜の〜……』

「リセ……お前、この時代にまでなってまだ『団体主義』か? もっと個性を大事に育てろよ」
「そういう話じゃないだろ、そういう話じゃ!!」
「いや、俺に言わせりゃ今のお前のセリフは問題発言だ。聞き過ごしてたまるか!」
「聞き過ごしていいっ。第一、最初の主旨と違ってきてるだろっ!」
「は? ……ってことはお前が話をすり替えたのか!? ったく、しっかりしろよ」
「ああああっ! お前というヤツは……!!」

『あ〜の〜っ!? ちょっとはヒトの話も聞きなさいヨ!?』

 ついにエコーのかかったその声が叫んだ。
 どこから聞こえているかは結局全く考えなかったが、どうも声の主はよっぽど興奮しているのか……息のあらさまでが伝わってくる。
 
 あまりにもリアルに聞こえるなぁ、とリセが妙に感心していると、背後でギシリと床のきしむ音がした。
 見れば、黒い布をすっぽりかぶったような格好の女が一人、マイクを片手に肩で息をしている。

「……えーっと……」
 リセは戸惑った。
 そこへ、トワがナイスタイミングで、女に質問をふっかける。
「…………誰だよ、あんた?」
「っていうか、一体どこから……? それに、さっきの声……」
 リセがつぶやくと、女はマイクを持った手をかざし、
「ああ、あれはマイク。ほら、そこにスピーカーあるでショ?」
 とこちらの頭上を指差した。
「あるでしょって言われてもなぁ……」
 トワが眉をひそめる。
「っていうか、何者?」
「あのねぇ、見てわかんないのカシラ?」
 女がじれったく言うので、リセはオウム返しする。
「……見て……って?」
「ほらほら、アタシの格好よ。ちょっと口に出してみなさい」
「はぁ……。……上に羽織ってるのは……ローブですよね」
 リセが呆けながらも言われたとおりにすると、トワも口を開く。
「……ヘンな頭巾かぶってるよな」
 トワが言うので、再びリセも言う。
「ヘンな腕輪してるし」
「ヘンな首かざりもしてるな」
「あ。ヘンな靴も履いてる」
「おおっ、ヘンな模様が顔に」
「……ああ……言われてみればヘンだな」
「ヘンづくしだな!!」

「って、言わせておけばっ……」
 
 女は憤慨した様子だったが、なにやらブツブツと独り言を言ったあと、落ち着いた様子だった。

「……ま、まぁいいわ。そうなのよ。この格好、見てわかるでショ?」
「は?」
 渋い顔で、「わからない」と主張する。
「アタシが誰か、わからないの?」
「全然わっかんねー」
 今度はトワが言った。
 女はチチチ、と指を揺らし、
「鈍いわね。今世紀最大の霊媒師、ナターシャおねぇさんヨっ!?」
「……霊媒師?」
「灰かぶりの霊媒師って聞いた事ない?」
 リセはトワと顔を見合わせる。
 今日はこんなことばかりだ。
 女に向き直り、
「……ないんですけど」
 とリセは素直に答えた。
 トワが横から口を挟み、
「たしかに、灰はかぶってるよな」
 と女の格好を指摘した。
 確かに、彼女の羽織っているフードには、白い粉のようなものがところどころに覗える。
「……はぁ、やっぱりまだ名前は通ってないのネェ〜……」
「……それって間違いなく今世紀最大じゃねーじゃん」
 女の言葉にトワが的確なツッコミをいれる。
 が、彼女は気に留めなかったのか、
「まぁ、いいわ。シンデレラだって灰かぶりからプリンセスに変身するんですもの。バカにできるのも今のうちだワヨ!」
 と一人大きくガッツポーズを取るのだった。

 ……変人だ。

 と、まさか口に出せるはずもなく、リセはココロでつぶやく。
 その間、トワがリセによってきて、小声で話しかけてきた。
「……あれは『危険物質』だよな?」
「よせよ。あのヒトに失礼だろ」
「けどお前……かなりあやしいぜ、あのナターシャとかいう女」
「そりゃ……確かにヘンな格好してるし、言ってることはめちゃくちゃだけど……」
「どうするよ? 俺マジで早く帰りてぇんだけど」
「俺だって帰れるものなら帰りたいよ。でもほって置くわけにも行かないだろうし。……この屋敷、今は一応ヘヴンズの管理下だろ?」
「そうだな。中でなんか怪しいことでもされたら俺らの責任になっても困るな……。じゃあ、一応職質をかけたってことで、さっさとおさらばしようぜ。それでいいだろ?」
「……そうするか……」

 二人の話がまとまったところで、タイミングよく女――ナターシャが声をかけてくる。

「ねぇ……ところで、こっちの女の子気絶してるんだけど」
「えっ!? ……し、白雪!?」
 黒髪の少女は、床に倒れていた。
 それを見てナターシャが頭を振る。
「かわいそうに。顔面蒼白ってこいうのを言うのかしらネ? よっぽど怖い目に……」
「……いや、俺もしかしたらあんたの所為じゃないかと思……」
 トワが言いかけていたが、リセはそれよりもとにかく、白雪を揺り起こそうとした。
「おい、白雪、大丈夫かっ!?」
 答えない白雪。
「ぐったりしてるな」
 トワが近づいてきて言った。
 次の瞬間、ナターシャが大げさに身をふって、一歩あとずさる。
「……はっ、まさか!?」
「な、なんですか?」
 思わずリセも身構えた。
「悪霊ヨ! 悪霊のしわざだワ!」
「……は……?」
「悪霊に取り付かれたのヨっ!」
「悪霊ぉ?」
「じゃなきゃ何だっていうの!?」
「ただの気絶……」
 またもやトワが的確な言葉を言おうとするまえに、ナターシャは彼の声を遮って力説する。
「悪霊ヨ!!」
「んなバカな話あるかよっ!」
 トワの強気な言葉に、ナターシャがさらに息をあらくした。
「アナタ知らないのね!?」
「……な、何を……」
「この屋敷は呪われてるの。近所に悪霊の呻き声と、彼らの臭気が漂っているワ。アナタ達が何の目的でこの屋敷に近づいたのかは知らないけど、はっきり言って危険極まりないのヨ。アタシはこの近辺の主婦の皆さん(平均年齢42歳)にその退治を依頼されたんだから間違いないワ!!」
 ナターシャはハッキリとそう告げた。
 リセは白雪を支えた格好のまま、振り返る。
「えっと……ナターシャさんでしたっけ。それ、本当ですか?」
「本当よ。でももしかしたら主婦(平均年齢50歳くらい)だったかもしれないけど」
「……それはどっちでもいいです」
「……あらそう。……で、アナタ達って何者なの? 誰の許可でアタシの棲家をうろついてるワケ?」
 このセリフには、トワが先に反応した。
「棲家!? この廃屋が? アンタの?」
「悪い?」
「ああ、悪いな。なぁ?」
 悪びれずに言う彼女を、トワがハッキリたしなめる。
 リセに促してきたので、それに答えるべく、頷いた。
「住居法違反ってことになりますね」
「……何? もしかして警察関係なの?」
「警察ではありません。……でも株式特殊機関ヘヴンズアソシエイションのエージェントです」
「……ヘヴンズ? 聞いた事ないわネ」
「え……?」
「警察じゃないなら別にいいじゃない。とにかく問題はこの女の子ネ」
「そういや、姫野のことすっかり忘れてたな」

 トワが白雪に視線を移した。
 と、ちょうどむっくりと白雪が起き上がり、何事もなかったかのように告げる。

「私なら大丈夫です」
「白雪!」
「心配をおかけしました……少し前から話は聞こえていたのですが、体が動きませんでしたので」
「本当に大丈夫なのか? ……顔真っ青だぞ?」
「問題ありません」
「本人が大丈夫っつってんだから、大丈夫なんだろーよ。……つーか、問題なのはアンタのほうだろ……ナターシャだっけ?」
 怪しげな黒いロープの彼女を見て、トワ。
「アタシの何処が問題なのヨ?」
「だーから言ってんじゃん……。こんな廃墟に、登録もなく勝手に住んでるのは住居法違反だって……。そりゃあまあ、こういうのは生活安全課の仕事であって? 俺らの管理下じゃないけどな」
「は? だからぁ、アナタ達警察じゃないんでショ? それなのにアタシを裁く権利でもあるワケ?」
「そのことですが、とりあえず俺達ヘヴンズは、一般でいう警察と同じ権利を持ってますよ?」
「大体、そのヘヴンズってのは何なワケ? 聞かないって言ってるじゃないサ」
「……ヘヴンズを知らないんですか?」
「知らないわネ」
 彼女は自信アリ、という風に、胸を張る。
 白雪が静かに語り始めた。
「……ヘヴンズ。正式名称ヘヴンズ・アソシエイション。天使族のエージェント、及び、ガーディアンで構成される株式特殊警察機関です。一般の人間で構成される警察とは違い、主に天使族や悪魔族など、異種族の起こす事件を取り締まっています」
「……は? 天使族? 悪魔族? 何よ、アタシの知らない間に、そんなものが降臨しちゃったワケ?」
「審判の日は知ってますよね?」
「何ソレ?」

 部屋に沈黙が訪れた。
 トワがまたも小声で、話しかけてくる。

「……なぁ、こいつどっかおかしいんじゃねーの? 今時、審判の日を知らない生き物なんかこの地球に存在しねーって」
「確かに、妙ではありますね。審判の日の出来事は、地球上の全人類にとってもかなり印象深いものですから。天使族や悪魔族の詳細を知らないのはともかく、審判の日を知らないということはありえない……と言っても過言ではありません」
 白雪が淡々と答えた。
「だろ? だろ? ……もしそんなヤツが居たとしたら、ボケたジジババとか……そういう類だろ?」
「しかし永遠さん、彼女はそんなに年をとっているようには見えません。私たちよりは年上のようですが」
「じゃ、なんで首かしげるんだよ? なぁ、リセ、お前どう思う? ここはやっぱ、さっさと職質かけて、しょっ引いてくか?」
「あのなぁ……」
 とは言ったものの、リセも他にどう対処していいかわからず、黙る。
 そこへ、おもむろに白雪が声をあげた。
「……あ」
「どうした?」
 尋ねてみると、普段よりも静かに、少しトーンを落として落ち込んだように白雪が答える。
「……審判の日を知らない、というのが、体験していない……という意味ならば……」
「意味ならば?」
「審判の日よりも前に生前していた人間なら、審判の日以降に現れた私たち異種族を知らなくても当然……そう言えます」
「ああ、そりゃそうだろうな」
「しかし、審判の日は60年以上前の出来事ですから……」
 白雪が言うと、トワが人差し指をピンと立てた。
「……ちょっとまて? ってことはだな、ナターシャとかいうあの女……」
「まさか。60歳以上ならあんな背格好なわけない」
 彼の言葉を否定する。
 しかしトワは、リセを見て、それも真剣な顔で続けた。
「……60歳以上ならな」
「……どういう意味だ? ……まさか……」
「実際の人間が、60すぎてもあんな若い姿してるわけないだろ。つまり、あの女……」
「ま、まてトワ!」

 リセは、しばらく間をあける。

「……その先を言うと白雪がまた気絶しそうだからやめとけ」
「んじゃ、リセ、耳かせ」
「貸さねーでもわかるって! つまりあの人が幽霊だって言いたいんだろお前」
「……って、自分でやめとけって言っておいて言うか、普通……」
「……しまった! 白雪!?」
 慌てて白雪を振り返り探す。
 彼女は平然と立っている。
「……私はここですが」
「大丈夫かっ? 気絶してないな?」
「ええ」
「顔がさらに青くはなったけどな」
「トワ、余計なことは言うな」

「ところで」
 トワ曰くさらに顔色の青くなった白雪がぽつりと言った。
「ナターシャさんとおっしゃる方、今しがた部屋を出て行きましたよ」
「それを早く言えよ!!」
 リセは思わず叫んでしまう。
「追いかけるぞ!」
「なんでだよ? ほっとこーぜ」
 トワは乗り気ではないらしい。
 腕を組んで、その場に突っ立ったままだ。
「一応住居法違反にひっかかってるんだぞ。トワ……お前、今彼女を見逃して、後から部長に小言を言われてもいいのか?」
「別に……」
「減俸されてもか!?」

 減棒……それは、リセ達エージェントにとって呪われた言葉である。
 この言葉を掲げられると、とにかく土下座して「それだけはやめてくだせぇ」と言いたくなる。
 とくに給料日前は。


 トワが、黙り込む。
 ……やがて。

「チェッ……しかたねーなー」
 彼は伸びをした。
「白雪、動けるならついてこいよ?」
 パートナーを振り返り、なるべく優しい言葉をかけると、
「はい」
 と比較的しっかりした声が返ってきた。
 そのあと、白雪は付け加える。
「あの……」
「ん?」
「必ず、守っていただきますから」
「え?」
 なんのことやら、意味がわからなかった。
 ほうけていると、白雪はいつもと同じ淡々とした口調で、無表情のままはっきりと言葉を発する。
「あのナターシャさんが本当に幽霊なら……私を守ってください」

 リセは目が点になった。
 この屋敷に踏み入ったときから白雪がいつもと違うので調子狂ったが、今のセリフは最大級にショックがある。
 
 『守ってください』とは、どこか命令調にも聞こえるのだが、反面、自分より年下で女の子であるという、白雪の内面が少しだけ見えた気がした。


「……ああ、わかった」
 答えた後、すぐにトワの声がかかる。
 彼はすでに部屋をでて、廊下のほうにいた。
「グズグズすんなよお前ら! ……おっ!? 居た! 広間のほうだぜ!」
 リセも部屋を出る。
 廊下は吹き抜けになっていて、階下の様子がよく見えた。
 ナターシャがフロアを駆け抜けていく。
「ホントだ。……なんであんな慌ててるんだ?」
「大方俺らに捕まるとヤバイとでも思って、逃げる気なんじゃねーの?」
「とにかく、俺は空間移動(テレポート)するから、早く来いよ!」
「わかった」
 トワが空気を吸い込んで、ぐっ、と身体全体に力をこめたようだった。
 瞬間、彼の姿が掻き消える。
 
 文字通りの瞬間移動。
 トワの持つアビリティのひとつだった。
 精神感応(テレパシー)共々、類まれなる『特殊系』の能力だ。

 トワの身体はリセの目の前から消えたが、階下のナターシャの目の前へと移動していた。
 リセは廊下のへりに乗り出すようにして、彼らの行動を見守る。

 ナターシャは驚愕に身体が動かないようだった。
 突然トワが目の前に姿を現したのだから当たり前といえば当たり前だ。

「さてと、アンタ結局何者なのか、正直に話してくれよな。時間ねーから」
 トワがナターシャに詰め寄った。
「だから、アタシは灰かぶりの霊媒師ナターシャだってばサ!」
「嘘つけよ! 霊媒師じゃなくて幽霊なんだろ?」
「……アナタ、見かけ通り、かなり非科学的なこと言うわネ」
「自称霊媒師に言われてたまるかよっ! いいか、素直にこっちの言う事聞かねーと、アビリティ使って締め上げるぞっ。……っていっても普通の人間に使うわけにもいかねーか。また部長がうるさいだろうしなぁ……でもなぁ……幽霊かもしれないしなぁ……幽霊に使っても違反になるんだかならねーんだか……」
「アビリティ? まーたわけのわからないこと言って。イイワ! そっちがその気なら、こっちはこれで……」
 ナターシャが天井に手をかざし、叫ぶ。
「霊媒七つ道具ぅ〜!」
 言って、彼女がローブの中から取り出したのは……。
「って、なんじゃそら……はさみ……?」
 脱力するトワ。
 ナターシャはおかまいなしに、そのはさみらしき物体を掲げる。
 結構な大きさだった。
 ちょうど野球で使うバッドが、その二本の刃の大きさと同じくらいだ。
「この『プッツンシザース』でアナタの生命ぷっちんだわヨ」
「へっ!?」
 ナターシャがトワに襲い掛かる。
「ちぇ〜いっ!!」
「ぉわぁっ!?」
 間一髪でトワが突進してきた彼女をよけたが、一歩間違えれば危険な一撃だった。
 リセはその場から駆け出す。
 後ろから白雪もちゃんとついてきていた。
 早く合流したほうがよさそうだ。
 あのナターシャという女、こうなったら本当に拘束するしかないかもしれない。
 
 廊下を駆けて、階段に向かうその間にも、トワとナターシャのやりとりは聞こえてくる。

「……くっ……しかたねぇな!」
 トワがそう言ったのが耳に入った。
 その後その声が立て続けに叫ぶ。
「衝撃(インパクト)っ、レベル・ブロンズ!」
 爆発音が響く。
 リセの頭には、トワの手のひらにかたちどられた光の弾が、ナターシャの腕かどこかにあたったような、そんな光景が思い浮かんだ。
「あっ……」
 カラン、と鉄の音がする。
 おそらくナターシャの手にしていた巨大なはさみが床に落ちたのだろう。


 生暖かい風が吹いた。
 リセが足を止め、窓を見やる。
 ガラスは閉じたままだ。
 
 ゾクリと、背中に悪寒が走った。
 階段は目の前。
 その階下に広かるフロアに、トワとナターシャが見える。

「……ぁ……」
 ナターシャが、蚊の鳴くような声を出した。
 ふんわりと、甘い香りがリセの鼻腔をくすぐった。
 甘い……だが、妙な甘ったるさだ。
 ツンと鼻の奥に入り込んで、じわじわと侵されていくような……。

「……ん? なんだ、ヘンな匂い……」

 見ればトワも、鼻を摘んでいる。

「……っつーか、おい、ナターシャさんよー? なんで黙ってんだ?」
 
 鼻声で彼がナターシャに呼びかけるが、彼女は宙を仰いだまま返事をしない。
 トワがこわごわと近づいていた。
「……おい……おいって……?」
 やはり返答はないようだ。
「……な、何なんだ……?」
「トワ!」
 リセは白雪を伴って、階段を降りる。
 トワと合流すると、ナターシャと彼を交互に見てから尋ねた。
「どうした?」
「わ、わかんねーよ。こいつ、いきなり放心状態になって……」
「……あの、ナターシャさ……」

 リセが声をかけた瞬間だった。
 ナターシャの瞳に輝きが戻る。

 そして……。

「……あぁぁっ!」
「っ!?」
 ナターシャがふいに、袖口から鋭い刃物の音を響かせ、掛け声と共にリセに襲い掛かってきた。
 その表情は、目が見開かれ、血走り、最初に言葉を交わしたときの彼女とは全く異なっている。

「リセさん!!」
 白雪が呼んでいた。
 その声に反応したのか、ナターシャが攻撃の矛先を白雪に向けた。
「姫野! 避けろ!!」
 トワが叫んだ。
「はぁぁぁぁっ!!」
 ナターシャが振りかぶり、白雪は襲い掛かってくる彼女を凝視する。
 リセは一瞬のその出来事に、機敏に反応した。
 手のひらに気を集中させて、光の弾を作り出す。
「衝撃(インパクト)! レベル・ブロンズ!!」
 
 叫んだリセから放たれる光弾は、ナターシャの背中の真ん中に直撃した。
 爆発音に似た音が響く。
 ナターシャはもがいていた。
 リセは白雪を見やったが、どうやら無傷らしい。

「……ぅぅっ!」
 痛みに顔をゆがめるナターシャも目にはいった。
 リセは、そのよどんだ瞳を見て、つぶやく。
「……あの目……人間じゃない!?」
「って、だから幽霊だろ!?」
 トワがいらついた様子で言った。
「いや……違う!」
 そう、違う。
 幽霊なはずがない。
 トワやリセの攻撃アビリティを受けて、苦しんでいるのだ。
「引き付け(アトラクト)!!」
 リセは叫び、ナターシャの手にした刃物を自分のほうへひきつけるよう、念じた。
 宙に浮かんだ刃物が、磁石の引き合う要領でリセの手元へと収まる。
 パシリ、と小気味良い音がした。
「幽霊に足はないだろ、トワ」
「そういう物理的な問題なのか?」
「いや、それだけでもなくて……」
「……おい、リセ、来るぞ!?」
 トワが跳躍した。
 反射的に、リセも体をよじる。
 ヒュ、という音がすると、ナターシャの腕が空を切る。
 離れた場所にいたはずの彼女が、この一瞬でリセ達のほんの近くへと、移動していたのだ。
「っはぁ……はぁ…………速いっ……!?」
 トワが息を荒げている。
 リセは、冷や汗をぬぐいながらつぶやいた。
「間合いを詰められるとヤバイな……」

「はず……した……」
 ペロリ、としたなめずりした彼女が、しわがれた声でつぶやく。
 元の彼女の声ではない。ボイスチェンジャーを通したような、ふざけた声だった。

「……! 声が……!? やっぱり!」
「おい、一人で納得すんなリセ! どういうことか説明しろよ!」
「トワ、お前、彼女が放心したっていったよな!? その時なんかヘンな匂いとかしなかったか!?」
「そういえば……なんか鼻にツンとくるような匂いだったな……」
「白雪も屋敷に入ったときにそんなことを言ってただろ……きっと、その匂いに何かある。彼女……ナターシャの正体がただの人間じゃないことは確かだ。でも幽霊じゃない……この運動能力から見ても……たぶん、異種族の可能性が高い」
「だけどよ、あいつ異種族のこと知らないんだぜ!? 知らないのに異種族なわけねーだろ!?」
「逆だろ? 異種族でも、自分がそうだと知らない場合は考えられる! 例えば生まれた時からかなり長い期間ここに閉じこもっていたとしたら……、審判の日のことだって知ることがないのかもしれないし……」
「そうかぁ? 俺はなんか納得いかねーぞ」
「ぐずぐず言ってる場合じゃない、来るぞ!」
「ちっ……危険物処理係はお前一人じゃなかったのかよ!!」
 トワがはき捨てるように言うと、駆け出した。
 ナターシャが迫ってきている。
 刃物は取り上げたものの、ものすごい形相のまま、彼女は片手を振り上げた。
 一瞬にして、5本の指から鋭い爪が伸びる。
「三文ホラー映画じゃないんだぜ!?」
 トワが吼える。
 少し離れた場所にいた白雪が、そのとき久々に口を開いた。

「リセさん、匂いを知覚(パーセプション)しました。最も臭気の高い場所は西側の……奥部屋です」
「ナイス白雪!」
「どうするんだ、リセ!?」
「俺の予測が当たってるなら、その臭気の原因は古代遺物(エンシェント・アイテム)だ。鴇さんの言ったこと覚えてるだろ? エンシェント・アイテムには様々な種類と形状のものが存在する。その効力は計り知れない。彼女がおかしくなった原因はこの匂いのはずだ」
「まてよ、だとしたらどうして俺らは影響を受けないんだ……?」
「とにかく、言う通りにしろって!! そんなの考えるのはあとでいいんだよ!」

 リセが話す合間にも、ナターシャが襲い掛かってくる。

「っ……! トワ、早く!」
「私が行きます」
「……白雪!?」
 
 ナターシャの攻撃を腕でうけ、跳ね飛ばした。
 トワが彼女の後方に回ろうとしながら、白雪に叫ぶ。
「お前、怖がって足動かねーだろ!?」
「いいえ」
 
 白雪ははっきりと言った。
 それと同時にリセが衝撃(インパクト)を放ち、ナターシャに一撃食らわせる。
 白雪は恐ろしく、静かな声で、言った。
  
「……幽霊でないなら、恐れることはありません」
 
 それは、はっきりとリセの耳に届いた。
 おそらく、トワにも。

 白雪はかけていく。
 階段を上りきり、自分がはっきりと告げた西側の奥の部屋へと向かったのだろう。

「……なんか、俺、今むしょ〜に姫野が怖かった……」
 トワが言った。
 というよりも、思わずそう口にしてしまった、という感じだ。
「……俺も……」
 動きをとめて、リセも同意する。

「くっ……ちょこ……まか……と……!」
 ナターシャから、搾り出すような声が漏れている。
「リセ!」
「わかってる!」
 
 トワが回り込んでくる前に、リセはもう一度光の弾を手のひらに作り出した。
「衝撃(インパクト)! レベル・シルバー!」
「おいっ、思ったんだけどさ! まだあいつが異種族って決まったわけじゃないだろ! 人間かもしれないヤツにまずいんじゃねーの!? 今の当たったらただじゃすまねーぜ!? レベルシルバーだ、わかってんのか!?」
「今のは直撃させるつもりじゃない。それより、このままじゃ埒があかない! なんとか彼女を気絶でもさせないと……」
「おっしゃ、なら俺が引きつける。お前はあいつの後ろに回って手刀でも食らわせろ」
「……やけに謙虚だな。とどめを譲るのか?」
「うるせ! 攻撃コントロールは俺のほうがお前より勝ってんだよっ! 先輩のいう事は素直に聞いとけ!」
「って、先輩じゃないだろっ!」
 
 リセの放った衝撃(インパクト)は、彼女の身体をかすったらしい。
 それでも、レベル・ブロンズの光弾よりも威力のある、レベルシルバーの攻撃だ。
 ローブは熱で破れ、そこから覗いた彼女皮膚らしきものもただれている。

「ふ……うう……ぅぅぅぅっっ!!」
「衝撃(インパクト)! レベル・ブロンズ!」

 トワが叫んだ。
 リセのものより小さな光が、ナターシャの反対側の脇をかする。
「ああっ!?」
「うっしゃ、ギリギリ!」
 トワが言ったあと、リセはタイミングを計り、ナターシャの後ろへ回った。
 目を細め、獲物を狙うように息を呑む。
 そして……。

「……っ!!」

 トス、という比較的大きな音がした。

 リセの手刀が、ナターシャの首筋にしっかりと入ったのだ。
「……ア……え……っ?」
 唸る一瞬、彼女の声が元に戻った。
 どさり、とナターシャの身体がボロボロの床に崩れ落ちる。
  
 気を失ったのか、彼女は声をなくし、黙り込んだ。
 
「やったか……」
 トワがゆっくり倒れた彼女を覗き込む。
 しかし、近づきはせず、少し離れた場所で。
「……みたいだな」
 リセが相槌をうつと、階段から白雪が駆け下りてきた。
「リセさん、永遠さん」
「おお。どーだったよ? こっちはとりあえず片付けたぜ」
 トワがガッツポーズを彼女にして見せた。
 それに頷いてから、白雪は淡々と語る。
「それが……リセさんのおっしゃるような古代遺物(エンシェント・アイテム)は見つかりませんでした」
「え? ……んな、バカな」
 あの推測はかなりの可能性があると思っていた。
 リセが驚いたままの表情でいることを白雪は悟ると、 
「くまなく探しましたが、途中で臭気がぱたりと止みました」
 とおいうちをかけるように説明する。
「……おい、リセ。どう説明するんだよ?」
 トワがにらんでくる。
「って……言われても……白雪、本当に……?」
「ありませんでした」
 白雪ははっきりと告げた。
「……そうだ! ナターシャさんをヘヴンズに連れて行って、事情を聞けばなにかわかるかも……」
 リセが言いかけたところで、トワが口を挟む。
「……なぁ」
 その声は少し重たかった。
「なんだよトワ。まだ文句あんのかよ?」
「……そのナターシャ……いないぜ」
「え……?」

 リセはトワの視線の先を追って、彼女を探す。
 しかし、広いフロアに彼女の姿はない。

 沈黙がながれる。
 生暖かい風が吹き、窓がカタカタと揺れる。
 しかし、やはり、ガラスは閉じたままだ。

「……消え……た……?」


 背中に、またゾクリと悪寒が走った。








 コツコツと靴音を鳴らしてそのフロアに入ると、生活安全課のガーディアン達が一斉にざわつき、こちらに注目した。
 ただ見つめてくるだけの者や、会釈をする者もいる。
 クァンヴァントはお構いなしに奥まで進み、あひるのプレートがかかった扉に手をかけた。
 ノックは必要ない。
「鴇、入るぞ」
 いきなり扉をあけて中へ入るが、相手は気を害したわけでもなく、にこにことクァンヴァントを受け入れた。
「やぁ、クァンヴァント」
「リセ達の報告を聞いた。お前にはまだ伝わっていないだろうが……」
 そこまで口にして、声のトーンを落とす。
「わざわざ言う必要はないな。知っている……いや、知っていただろうからな」
 そう言うと、鴇は間を空けてから、静かに笑った。
「もちろんだよ。……リセくん達から直接は聞いていない……けれどね」
 クァンヴァントには、それが悪魔の笑みに見えた。
 だからといってすくみ上がるわけでもないが、つくづく恐ろしい男だとは思う。
 もう何年の付き合いになるかはわからないが、ローブリィ・鴇はいつでもこういう男だった。
 この笑顔の裏に何を隠しているのか、少しでも侮れば、恐ろしい目にあいそうだ。

 クァンヴァントは嘆息する。
 この鴇の部屋――生活安全課の課長室のはずなのだが、そにしては、パソコンやモニタの数が多すぎる。

「そんなことだろうとは思ったが……それでは、始めてもいいのだな?」

 目の前の相手に確認すると、とぼけているのかどうなのかわからない目が、
「何を?」
 と訊き返してきた。
「くだらん茶番は好まないのだがな……さしずめ、今回の廃屋調査の謎解きと言ったところか。客はお前一人だ」
「リセくんたちは呼ばなくてもいいの?」
「お前が真相を知られ、リセに嫌われてもいいというなら呼んでも構わない」
「……ふぅ……優しいねぇ」
「御託はあとにしろ……」
 言うと、鴇は肩をすくめる。

「とにかくまずお前の目的を当てようか。リセ達の『能力調査』だな?」
「……ビンゴ♪」
「何故会議の場で正直に言わなかった? 廃屋の調査というのは建前で、本当はリセ達三人がエージェントとしてふさわしいかどうかをテストするための『やらせ』だと」
「局長の許可がどうしても必要だったからね」
 鴇は、やけに素直に理由を語りはじめた。
 メインに使用しているパソコンの乗った、自分のデスクにゆったりと落ち着いたままで。
「……というのも、ただの生活安全課課長である僕が、リセくん達を借りて彼らを調査……なんて、そんな提案は許されないだろう?  必然的に、計画は水面下で行うことになる。廃屋をあの地域に見つけたのは本当に偶然だったけど、それを少し利用させてもらっただけだよ」
 そこまで言うとクァンヴァントを上目遣いに見て、
「それに、君に話せば拒否されるだろうって算段もあったしね」
 瞳を少しの間、閉じる。
「なるほど。では次だ。リセ、白雪、トワ……この三人の能力調査をする必要がなぜお前にあるか、だ。ナターシャという『マリオネット』を自ら『プログラム』してまで」
「さすがクァンヴァントだね……。リセくん達から聞いた話だけで、ナターシャの正体まで見破っちゃったのか」
「彼女の言動だ。白雪が見たところ、20代前後の格好だったそうだが……現代の世でその年頃ならば、審判の日や異種族のことを知らないわけがないだろう」
「んー、彼女に審判の日以降の知識をプログラミングしなかったのは、幽霊だと思わせるための作戦だったんだけどな……」
「『マリオネット』か……人方の物質を作り出し、遠隔コントロールでまるで人間そっくりに行動させる……お前のそのアビリティの技量は褒め称えるにとどまらないが……」
 ちらり、と鴇を見ると、やはり彼は笑っていた。
 このクァンヴァントの『謎解き』を、本当に観客として楽しんでいるようだ。
「他にも怪しい点がいくつかあるな。匂いは演出だろうが……リセの推測を同じようにたどれば、アラがでてくる。ナターシャだけにエンシェント・アイテムが反応を示すという理屈と根拠が成り立たない。お前がエンシェント・アイテムの知識がないトワに、入れ知恵をしたそうだが……アダになったな」
「ふむ……そうだね……」
「……それからこれはあくまで蛇足だが、幽霊などというものはこの世に存在しないと私は考えている」
「世界のオカルトマニアを敵に回すよ、クァンヴァント」
「構わん」
「困ったね……そこまでばれているとなると、君が僕を咎めにきたんだろうっていう予想はほぼ確定かな?」

 そこまできてやっと、鴇は本当に「困った」らしき顔をした。
 細長い指でカリ、と小さく頬をかいて、苦笑いをする。

 こちらからゆっくりと手を差し出す。

「解っているなら、彼らの行動データを全て渡してもらおうか。屋敷の中に無数の水晶玉をしかけ、読み取ったんだろう?」

 見つめる鴇の目は、もう笑ってはいない。
 サングラスの中からそんな鴇を見つめながら、もう一度、クァンヴァントは静かに言った。

「リセ達のプライバシーを管理できるのは、唯一私だけのはずだな?」
 

 沈黙は長かった。
 ピリピリとした空気が漂っていた。


 しばらくして、鴇がふぅ、と息を吐く。
 
「はぁ……。君のその洞察力のことを考慮しておくべきだったよ。……もしかして、状況報告をしたのは白雪くん?」
「ああ。彼女の報告は逐一細かい。ただ、脅かすにも程がすぎたようだな、鴇。恐らくお前は知らなかったのだろうが、白雪は極度の幽霊嫌いだ」
 かぶりを振ると、クァンヴァントは床を見つめた。
 まだ15だというのに、普段やけに大人びている部下の少女を思いだし、
「……まぁ、幽霊に限らずとも、『知覚(パーセプション)』できないものに対して恐怖を抱いているようだが……」
 つぶやく。
「とにかく、彼女が気絶したほんの数分間だけはリセとトワの報告に頼るしかなかった。しかし、どのみち白雪の説明がなければ、全ては線に繋がらなかったがな」
 鴇は、そんなクァンヴァントの言葉を聴き、その一瞬でピリピリとした緊張を解いたようだった。
 部屋の中の空気がガラリと変わる。
 彼はリラックスした格好で、デスクの上にひじをついた。
「驚かすつもりは別になかったよ。ただ、状況としては、不気味な屋敷に不気味な霊媒師……っていう設定のほうが、後で面白いデータが取れるかと思っただけでね……」
 一息ついた鴇が、そう言ってデスクから何かを取り出す。MOだ。
「……これがデータの入ったディスクだよ」
 クァンヴァントは黙ってそれを受け取る。
 が、油断できず、尋ねた。
「コピーは?」
「ハハ。取れるわけがない。さっき解析が終わったばかりだったんだ。そこへ君がやってきたからね」
「その言葉を信じておこう」
 ディスクを、スーツの裏ポケットにしまいこむ。
 鴇ががっくりと肩を落とし、傍にあった自分のマグカップを手にした。
 湯気などたっていないコーヒーを一口のみ、まずそうな顔をしてから、ごねる。
「あ〜あ。いい研究材料になると思ったのに。そう、特に彼らヘヴンズ最年少組の潜在能力・行動能力・性格による判断力の相違資料……そこへ君の作戦参謀としての能力と、僕の分析能力が加われば……この世の中に怖いものなんて存在しない……そうだろう? 残念だよ」
「お前が企んでいることを敢えて指摘はしないでおくが……。ヘヴンズを敵に回すつもりでいるなら、やめておくんだな」

 クァンヴァントは少し間をあけた。
 言い聞かせるように、告げる。

「少なくとも、私がこのポストについている限りは」

「……肝に命じておくよ」
 鴇が応える。  
「ヘヴンズ・アソシエイション本部局所属……クァンヴァント=ラーデ本部長」



 彼が言って、ちょうど数秒ほど後のことだった。
 コンコン、と丁寧にドアがノックされる。
 それがこちらの返事をまたずに開かれ、向こう側からリセが顔を出した。

「失礼します! 部長、いますか?」
「いらっしゃい、リセくん」
「こんにちは、鴇さん。報告書、書き終えたんで、一応持ってきたんですけど……。クァンヴァント部長にも話があって……」
 リセが鴇を見てからクァンヴァントに向きなおり、こちらにそう告げてくる。
「いいだろう。一課のオフィスで聞くことにする」
「はい。 ……あ、鴇さん、これ、白雪から渡しておいてくれって言われてた図面のデータと、報告書の入ったディスクです」
 クァンヴァントの前を通り過ぎたリセが、鴇にMOディスクを手渡した。
 それを受け取った彼は、やはり笑いながら、
「ああ…………必要なかったんだけどね……」
「え?」
「……ああ、いや。ありがとうリセくん。そうだ、今度お茶でもゆっくり飲みにいかない? あ、一人がいやだっていうなら、白雪くんやトワくんも一緒で構わないから」
「は? ……はい……いいですけど」
 承諾したリセの横から、クァンヴァントはたっぷりの皮肉を込めて口を挟んだ。
「お茶、か……幽霊屋敷にか?」
 すると、リセが顔をしかめて尋ねてくる。
「って、何で幽霊屋敷なんですか? 部長」
「まったく、人をからかうのもいい加減にしてほしいな、クァンヴァント」
「そうですよ。幽霊屋敷って……。そんなトコでお茶なんかゆっくり飲めるわけないじゃないですか。気味悪い音はするわ、気味悪い匂いはするわ、気味悪い女はでてきて消えるわ、気味悪い風がタイミングよく吹くわ……」

「え? 風……?」

 鴇が目を見開いた。
 しかし、クァンヴァントはそれを気に留めようとはしなかった。
 少なくとも、このときは。
「それはリセ。君が行って来た廃屋のことか?」
 おかしいのを我慢して、クァンヴァントはわざと尋ねる。
 リセは散々な目にあったとでも言う風に、いやな顔をした。
「あれを幽霊屋敷って言わないで、なんて言うんです? 白雪なんか後引いてるみたいでしたよ。こっそりポケットに悪霊退散のお守り入れてたし……」
 そこへ、鴇が横から彼に声をかける。
「ねぇ、リセくん」
「なんですか?」
「風って……?」
「屋敷に入ったとたん、なんか生暖かい風が吹いたんですよ。他にも数回。それで白雪がますますおびえたりしてタイヘンだったんですから」
「……鴇、お前こそ、悪ふざけをするのはいい加減にしておけ」
 
 自分がしかけた演出に、驚いたフリをするなどと……。
 何もかもばれたというのに、クァンヴァントの前ではイミなどない。

「行くぞ、リセ」
「悪ふざけってなんですか、部長?」
「君は気にしなくていい。では、邪魔をしたな」
「あ、ちょっとまっ……」

 鴇が引き止めたが、リセが先に部屋をでたので、クァンヴァントも足を進めた。
 彼がそれ以上こちらを呼び止める気配はなかったが、少し気になって、扉の前で立ち止まる。
 背後をちらりと振り返ると、デスクから立ち上がった鴇が、なにやらぶつぶつと独り言をつぶやいているのが耳にはいった。

「生暖かい風……? 吹くはずがない。そんなプログラミングもあの屋敷にはしていない。それに……観測台の報告では、今日の風力はゼロだった……」
   
 間があく。

 クァンヴァントは動かなかった。
 動けなかったのかもしれないが、あまり深くは考えたくない。

 この世に幽霊なんてばかげたものが、存在するはずもないし。
 不思議現象だって、科学の力でほぼ全てが解明されつつある……こんな時代に。

 ばかげてる。


 ……が。

 鴇の次のセリフが、クァンヴァントの脳裏に焼きついて離れなかったのは確かだ。

「……まさか、ね」




fin.