Are you READY?




 大通りを少しそれた場所にある、路地だった。
 昼間だが、ビルにはさまれて暗がりになっているその小さな合間の闇。
 覗き込むと、黄色い円形をした可愛らしい帽子がふたつ、見え隠れしていた。
 それを取り囲むように黒い学生服の男子が3人。
 背格好からみて、中学生か、高校生か怪しいところだ。
「ほらほら、言うこときけば、怖くないよ〜?」
 顔は笑ってそういうが、男子のその声色は怖くないというと嘘になる。
 どこか脅しを含んだ口調だ。
 続いて、他の2人も黄色い帽子――もとい、チューリップ型の名札をぶらさげたそれはそれは可愛らしい幼稚園児――に向かって言葉を続けた。
「そうだよ〜。おにいちゃんたちはちょっとお金に困ってるだけなんだから」
「最近、幼稚園児ってお金持ちらしいねぇ。ちょっと貸してくれない?」
 にこにこと音がでそうなほど笑っている彼ら。
 が、やはりその男子達の威圧感はぬぐえない。
 園児たちはおびえている。小刻みに体を震わせているのが、よくわかる。
 
 
 これはあきらかに恐喝だ。
 いや、幼児虐待だ。
 犯罪だ!

 有働祭は、そう確信した。


「ちょーっとあんたたちっ!!」

 高々と叫ぶと、足元にかがんで下を見下ろす。
 なにせ、自分のいる場所は路地に聳え立つ小さなビルの屋上だったのだ。
 眼下に見えているその男子達(こうなってくるとすでに不良と呼んでも差し支えないだろう)は、突然頭の上から降ってきた声にたじろいでいるようだ。
 が、すぐに発生源が自分達の真上だと気付いたらしく、顔をあげた。
「なんだ、てめぇ!」
 リーダーらしき、リーゼント風の髪型をした1人が叫ぶ。
 不良としてその髪型は正しいのかもしれないが、どうみても時代遅れ。
 祭は屋上にかがんでそんな男子を指差しながら、またも高らかに言う。
「ふっ、あんたなんかに語る名などなくてよっ! この有働祭、ヘヴンズ・アソシエイション捜査二課エージェントの役職にかけても、こんな極悪非道な輩は許すまじ!!」
「……名前、思いっきり語ってるけど」
 冷ややかにつっこみが入った。……が、それは不良たちのものではない。
 その証拠に、3人の学ラン男子はぽかんと口をあけたまま、屋上にいる祭を見上げたままだった。
「アンリ!!」
 後ろを振り返って非難の声をあげる。
 そこにいたのは黒髪をみつあみに束ねた青年だった。美しい碧眼が知らんふりをするように瞬きする。
 彼は祭と同じ白が基調の制服に身を包み、ネクタイをきちんと締めていた。
「あんたね、かっこいい決め台詞のときはツッコミなしってこの間言ったばっかりじゃないの、バカ!」
「今のがかっこよかったセリフなのか? 僕にはそうは思えなかったんだ」
「かっこいいじゃない! どこがかっこよくないって言うのよ?」
「かっこよくないとは言わないけど……マヌケ?」
「わざわざ疑問系にしなくてもいいっ!」
「あのさ、どうでもいいけど、叫ぶ前に幼稚園児助けたら?」
 詫びもせず、淡々と彼は言う。
 祭は我に返って路地裏を再び覗き込んだ。
 不良たちはさきほどの祭の勇姿を一向に気に留めていないらしく、園児に再びよってたかっている。

「ほらほら、早くたのむぜ〜」
「金ないなら定期だせよ〜。持ってるんだろ? 換金しちゃうからよっ」

「って、こらー!! あたしを無視するなぁっ!!」

 勢いよく、ビルから飛び降りた。
 階数にして、おそらく4階分ほどである。
 着地に失敗すれば、怪我だけではすまないかもしれない。
 しかしその心配はなかった。
 祭が念じると、落下していく体がふわりと軽くなる。
 その背中には、純白の翼が生えていた。
 翼を軽くはためかせ、重力に逆らった状態で地上を目指す。
 地面が近くなると翼を収め、祭はスタリ……と不良たちが輪になっている中心に降り立ち、園児をかばうように手を広げた。
「あ〜あ、またやっかいなことして」
 というつぶやきが、まだビルの屋上のアンリから聞こえたような気がしたが、気にしない。
「あんたたち、恥ずかしくないわけ? こんな可愛らしい子供に向かって!」
「あ? ったく、なんだよてめー、うるせぇな。……ああ、ヘヴンズか、どうりで貧弱そうな羽がびらびら付いてるわけだ」
「むっきー! この翼はね、おとーさんとおかーさんからもらった大事なあたしの一部なのよ! あんたなんかにバカにされてたまるもんですか。成敗決定!!」
 びしっ。
 人差し指をつきだすと、祭は仁王立ちになって不良たちを見渡した。
 3人……1人でなんとなる数だ。
「成敗だってよ。おい、お前ら」
 リーダーらしきひとりが他の2人に目配せする。
 合図を受けた2人が、一斉に構えをとった。
 そしてリーダーはというと……1つの深呼吸のあと、その学ランの後ろから大きな黒い翼を出現させる。
 それは形こそ祭のものと似ているが、色だけが違っていた。
「あんた、堕天使!?」
 自ら悪の道を志した者は、その意思が翼を黒く染め上げるのだ。
 祭がいっそう表情を厳しくさせると、リーダーがまたも合図をした。
「いくぜ、おらぁ!」
 それらしい掛け声のあと、祭に他の2人と同時に突っ込んでくる。
「まったく! 最近の学生はなってないわ!!」
 とっさに、後ろ手で園児2人をかばった。
 右足を軸にして、左足をくるりと回転させる。
 その回し蹴りはとりあえず命中したものの、なぎ倒せたのは三下不良2人のみだった。
 リーダーはさすがに機転をきかせて避けたらしい。
 しゃがみこんだその姿勢から内郭をえぐるようなアッパーをしかけてくる。
 避けきれない、と思ったが、そもそもこれを避ければ祭の後ろに縮こまって震えている園児に被害が及ぶ。
 足をふんばり、なんとか両手をクロスさせて、打撃を受け止めた。
「ち、女のくせに」
「うるさーい!! 学生なら学生らしく学業に励めー!」
 攻撃を受けたまま、今度は右足でリーダーの腹を思いっきり蹴る。
 相手は数歩よろめいて、退いた。
「アンリ、あんたこの子達見ててよ!」
 ビルを見上げて祭は叫ぶ。
 しかしそこにあるはずのアンリの姿はなく、虚をつかれてうろたえていると、背後から声がした。
「言われなくてもそうするところだったよ」
 見れば、アンリはさっさと園児2人を手招いて、路地から出て行こうとしているところだった。
「……うーん、ぼーっとしてる風に見えるのに相変わらずすばやいヤツめ」
 などと感心していると、殺気が襲ってくる。
 倒したばかりの三下2人が、掌に何かのオーラを溜めて、こちらに的を定めていた。
「それ……衝撃(インパクト)!? ……に、見えるけど……そっか、一般人だから構成が未熟なんだ……でも、あたったら痛そう〜……」
「何ごちゃごちゃ言ってんだ、てめぇ! 知ってるんだぜ。ヘヴンズの条約かなんかで、お前、一般人には能力(アビリティ)を使えないんだってな?」
「……うーん、確かにそういうことにはなってるんだけど」
「のんきに構えてられるのも今のうちだぜ。俺たち3人が1度にこの衝撃(インパクト)をお前に放ったら、どうなるか……」
「そうね。なんか見たところ、あんたらの衝撃(インパクト)、レベル・ブロンズくらいは威力あるみたいだしね。怪我だけじゃすまないかも」
「そうだ。お前はしょせん、一般人の俺らには手が出せないんだからな! 痛い目みたくないだろ? ヘヘ……」
 勝ち誇ったようなリーダーの顔に、リーゼントの固め損ねた髪の部分が垂れ下がっていて妙におかしかった。
 しかし、そんなことはどうでもいい。
「あー、こういうバカが世の中にいるから、あたしみたいな美少女が、ヘヴンズには必要なのよね。うん」
 祭は腕をくんで、首を縦にふった。
 不良3人組は、それをみてまたもぽかんとしている。
「……何言ってんだ、この女」
「頭がどーにかなってんじゃねーか?」
「ヘヴンズってたいしたことねーのな……」
 などなど。
「ハイハイ、無駄な怪我をしたくなかったら今のうちに謝るのはあんたらの方だわよっ」
 祭は胸のポケットにはさんでおいたボールペンをその手に構えとった。
 そして、つぶやく。
「実現(リアライズ)、変換条件”幻刀・玉兎(ぎょくと)”!」
 風を斬るような音とともに、そのボールペンが姿を変えた。
 スラリと刀身の長い日本刀だ。
「なにっ!?」
 不良たちは一歩後ずさり、テレビでお決まりの、あの驚愕の表情を作る。
「いやーん、か・い・か・ん。そのリアクションを待ってたのよね!」
「マジかよ。ヘヴンズのエージェントってのは、一般人には手を出せないんだろ!? なのに、そんな能力(アビリティ)で作り出した刀なんか持ち出してきて、いいのかよ!!」
「残念でした。一般人ってのは異種族じゃない一般人ってイミなんだよねぇ。天使の翼を持ってるあんたは間違いなくあたしと同じ異種族……ってなわけでぇ、成敗してはいけない理由がありません〜」
「なんだとーっ!!」
 リーダーが叫んだ。
 すると、脇を固めていた三下2人が彼にけしかける。
「こうなったらやっちまおうぜ! どっちにしろ、この女を片付ければすむハナシだろ」
「そうだぜ、俺たちならやれる。こっちは飛び技なんだし!!」
 と、言うがはやいか、1人が祭に向かって掌のオーラを放った。
「くらえ!」
 光の弾が祭めがけて猛スピードで接近してくる。
 しかし、あわてることなどなにも無かった。
 祭は刀……玉兎を振りかざし、目にも留まらぬ速さでその弾を真っ二つにしてしまう。
 裂かれた弾は跡形もなく消滅した。
「ちっ!!」
 2人目が舌打ちし、彼の放ったオーラが近づく。
 しかしそれも、祭は綺麗に斬り割ってしまった。
「……あたしに当てようなんて、百万年早いわ。姫野先輩から培ったこの刀術、今こそ美しく舞うとき! 闇夜に蠢く悪を……斬るっ!!」
 びしぃっ!
 と、指の代わりに今度は玉兎を不良たちに向けて、決める。
「……今は真っ昼間だけどね」
「アンリ、あんたはいちいちうるさいっ」
 園児を避難させたはずだった相方が、いつの間にか戻ってきている。
「で、園児はどこ?」
「親元に帰すにも僕じゃわからないし、そこの交番に預けてきたよ」
「…………うふっ」
「なんだよその笑いは……」
 ここにきて、それまで無表情だったアンリが眉をひそめた。
 祭はにやけたまま、不良たちを一瞥する。
 ちょうと、リーダーの男子が最後の衝撃(インパクト)をこちらに放とうとしているところだった。
「ねぇアンリ。園児を避難させたってことは、まぁ、被害が及ぶ人数が減ったということで、それはつまりこの不良たちに限定されたってことで……、手加減とかなしでいいわよねぇ?」
「祭、君はまさか……!」
「衝撃(インパクト)、レベルシルバー・範囲拡大っ!!」
「バカ、やめ……!!」
 アンリが叫んだ。
 と、同時に祭の体からオーラが放出される。
 せまい路地の暗がりが一瞬にして輝いた。
 そして……不良たちの叫び声をかきけすほどの、爆音がして――。

 次の瞬間……辺りは消し炭になっていた。


 








「……で?」
「……あはっ……えっと、その……」
 目の前で半眼になっている年上の彼に向かい、祭はごまかし笑いをしたあと、
「……ごめんなさい」
 と小さくつぶやいた。
 ヘヴンズ・アソシエイションの本社ビル、12階。
 そこに、祭とアンリの所属する捜査二課のオフィスが存在する。
 相手は、赤みの強い茶髪をぽりぽりとかきながら、
「学生3人重症……こいつらは実際、いろいろ問題があったみたいだからともかくとして、ビルの壁に穴あけたうえ、路地崩壊か。まぁ、過ぎたことをごちゃごちゃ言わないでおくけどな。有働、お前はちょい、加減を知らなさ過ぎるだろ」
「……トワ先輩……本っ当にごめんなさい」
「俺に謝ってもしかたないだろ。俺様を称えるなら別だが」
 彼はニヤリと笑って祭に続ける。
「あとは処理課に任せとくから、とにかく始末書、提出な。ああ、それからアンリ、お前はそのすり傷を救護室で治療してもらってこいよ」
「はい」
 言われたアンリが返事をする。
 祭はそんなアンリと共に捜査二課を出て、廊下を歩き出した。

「……こってりしぼられるかと思ったよ……」
 つぶやくと、頭一つ分背の高いアンリが、
「トワ先輩はああいう人だから、助かったっていえば助かったかな。……でも君は、もうすこし厳しい人の下につくべきなんじゃないか? あれだけ派手なことしてお咎めがないから、その性格が治らないんだ」
「失礼ね、病気じゃないわよ。この性格はもともと!」
「なお悪いね」
 言いながら、彼は何かをポケットから取り出して、顔にできた擦り傷にペタリと貼り付けた。
 絆創膏だ。
 それから突き当たりの角を、祭の向かうのとは反対方向の右へと進む。
「アンリ? 保険課の救護室に行かないの?」
「どうってことないよ、こんなの」
「……ごめんね。あたしの衝撃(インパクト)で、怪我させて」
「今更謝らなくても。もう気にしてないし……いつものことだし」
「……でもさ、そのいつも、よくあの状況でとっさに防壁(プリベンション)を展開させるよね。一歩間違ってたらアンリも病院送りだったよ」
「君、それ、褒めてるのか?」
「一応」
「……ありがとう、と言っておくよ。でもいつだってタイミング良くいくもんじゃない。僕は褒められるより、君がもう少し考えを改めてくれるほうが嬉しいね」
「人が素直に謝ってるのに、なによそれ!」
「だから、素直に謝る前に改心しろって言ってるんだよ。じゃないと、そのうち憧れの『あの人』に愛想つかされるよ」
 あくまで淡々とアンリがそう言って、右へ曲がって行った。
「……ムッキー! 何様!? あんたはあたしの保護者か!!」
 アンリの背中が見えなくなった頃、思わずそうつぶやいていた。
「……大体、あたしは憧れてるだけであの人とはろくに話したことがないってのに、愛想つかされるもなにも……」
 と、言いつつ、オレンジの強い茶髪をしたその人を思い浮かべて、頬を染める。
 だが、すぐにがっくりと肩を落としてしまった。
「あ〜……なんで捜査二課に配属されちゃったのかなぁ。一課だったらあの人とお近づきになれたかもしれないのに……」
「祭さん」
「ぅわ!? は、はい!?」
 突然呼び止められて、祭は心臓が飛び出るかと思った。
 振り向くと、ショートカットの黒髪が美しい、端整な顔の女性が立っていた。
「あ、姫野先輩……」
「仕事から帰ってきたのですね。報告書をさきほどトワさんから戴きました」
 淡々と彼女が語る。そのしぐさがどうにも、今別れたばかりのアンリを思い出させた。
 祭が苦い顔をしていると、相手はこちらの顔を覗き込むようにして、見ている。
「あ、いえ。なんでもないんです!! えーと、先輩、今日もこれから実現(リアライズ)の刀術、指南してくれますか?」
「ええ、そのつもりで祭さんを探していました」
「あ、じゃああたし、先に訓練場にいって、場所確保してきますから!」
「祭さん」
 駆け出そうとしたこちらを、彼女が呼び止めた。
「はい? なんでしょー?」
「本日は少々、度が過ぎたようですね。その辺のお話、きちんと聞かせていただきます」
「……はい……」
 姫野の瞳が細められ、少し怖かった。








 訓練場はヘヴンズ本社ビルの地下にある。
 さまざまな能力――アビリティの訓練を行うためのバーチャル・システムが完備されているが、その他にも実技訓練ができるよう、そのためのスペースもあった。
 祭は胴着に着替えると、先輩である姫野――姫野白雪を待つ。
 冷たい木目の床に正座していると、今日の出来事が頭の中にかけめぐった。
 朝……いつものように遅刻ギリギリでヘヴンズに出勤し、昼は……アンリと共に支部局のパトロールに赴いた。
 そこで出くわしたのがあの不良達だ。
 もしもあのとき、たまたまビルの屋上なんかで昼食をとっていなかったら……そして、休憩時間だと言ってのんびり空を眺めていたりしていなかったら……不良どもは、祭と出逢うことなく、ケガもしなかっただろう。
 しかし、幼稚園児のほうはカツアゲされて心身ともに傷を負ったかもしれない。
 そう考えると、どうしても自分のしたことが間違っているとは思えないのだが。
 やはり、アレはやりすぎだったかな……と、祭は自分の右手を見つめた。

 アビリティ――それは、天使か、もしくは悪魔の血をほんの少しでも受け継ぐ、異種族と呼ばれる者なら、誰にでも備わっている能力だ。能力の種類やレベルは個人差があるものの、その力は悪用しようと思えばいくらでも融通が利いてしまう。
 そのために異種族が起こす犯罪は、日々後を絶たない。
 それを取り締まり、世の中の秩序を守るのが……
「……あたしたち、ヘヴンズ……なんだよね」
 小さくつぶやくと、奥から返事が返ってきた。
「そうです。祭さん」
「姫野先輩!」
「私達はヘヴンズのエージェント。やたらむやみにアビリティを行使し、人を傷つける輩ではないはずです」
「……昼間のことは反省してます」
「わかっています。ただ確認を、と思いまして」
「……あのー、姫野先輩……」
「はい」
「その刀……は?」
「宝刀・菊姫です」
「嘘です。だって菊姫は姫野先輩の実現(リアライズ)で物質化した、想像の産物だし、本物ならあたしの玉兎と同じで柄にちゃんと紋が入ってます。それにはないじゃないですか、ほら」
「……祭さんは視力が良いのですね」
「両眼2.0ですから」
「結構です。察しの通り、これは菊姫ではなく、本物の日本刀です。本日はこれで訓練を行いましょう」
「は!?」
「祭さんは玉兎で、私に一撃食らわせることができれば終了です」
「待ってください! ムリです! 本物の日本刀で姫野先輩にかかってこられたら、あたし死んじゃうじゃないですか!!」
「冗談です」
 さらり、姫野は言った。
「……冗談に聞こえません……姫野先輩の言葉は」
 第一、いつも彼女は無表情だった。そのうえ、その真剣な表情でわざわざ冗談を言うために日本刀を持ち出してくるなんて、ありえない。誰もが冗談だと思えるはずがないのだ。

 彼女はその美麗な顔の作りは社内でもかなりの評判らしいが、同時に表情をいつも変えないことでも有名だった。
 しかし容姿端麗で、その上捜査一課所属の敏腕エージェントとなれば、それでもいい噂がたつものである。
 祭はそんな彼女が嫌いではない。
 たとえいい噂だろうが、悪い噂だろうが、立っていようが関係なかった。
 入社したての春から、姫野には実現(リアライズ)の能力を見出されて、刀術の指南を賜っている。
 つきあい易いかといえばそれは肯定できないが、あまり自分を語らないのと、顔に似合わず毒舌だという点を除けば普通のヒトだった。
 ただ少し性格が変わっているので……(いや、もしかしたら表情を変えないところですでに変わっていると言われるのかもしれないが)、姫野白雪という人物は、とても祭が同じレベルで話のできる相手ではない。
 もちろんいい意味でだが。

 少しだけ、楽しそうな声色で姫野が言う。
「あの人も同じことを度々いいます。似ていますね」
「あの人って……」
「……私のパートナーです」
「っていうと、小林梨世エージェントのことですか!? あの四天王の!?」
「……四天王……というと」
「あ、いや、あたしたち新入社員組でそう呼んでるだけなんですけどっ。その小林梨世さんと、姫野先輩と、トワ先輩と、それから……キサラさんのことです。なんでも、四天王は先に起こったヘヴンズリンク誘拐事件を解決した中心人物で、そのあと組織崩壊しかかったこのヘヴンズ・アソシエイションを再建したとかしないとか……特に小林梨世さんに関しては、あまりにも多忙でなかなか姿を見せないので、幹部以外は顔すらみたことないって……!! ……だから、あたしも会ったことないですけど」
「なるほど、噂ですか」
「あ、でもあたし、別におもしろがってるわけじゃ……大体この手の話題って信憑性うすいですし。単にその4人は能力的にもピカイチだっていう話だと思うんですけどね?」
「別に気にしていません。そう呼ばれていたとは初耳でしたが。私もリセさんも普通のエージェントですから、かしこまられる理由もないですし」
「はい。えっとその……それで、小林梨世さんのことですけど……えーと、何の話でしたっけ」
「相変わらずですね、祭さん。……これ以上論ずると稽古がはじめられませんので、おしゃべりはこれくらいにしておきましょう。構えてください」
 姫野はそう言うと、日本刀を脇において、代わりに傍に除けてあった木刀を手にした。
 祭は正座のまま、ごくりとつばを飲む。
 場の雰囲気がかわったのだ。
 ピリリとした緊張感が漂った。
 祭は小さく言葉をつぶやく。そして、自分も手近にあった木刀を握り締めた。
 しかし、祭のそれは姫野のものと違い、だんだんと姿を「幻刀・玉兎」へと変えていく。
「行きますっ!」
 息を吸い込んで、踏み込んだ。
 太刀筋を意識しながら、姫野の胴へと切り込む体勢を組む。
 しかし完全に見切られていたようで、あっさりと柄を木刀で撥ね返された。
「ふぎゃ!」
「踏み込みもまだまだ甘いですね。体勢を整えなければ、ここで敵の一撃があなたを襲います」
 姫野が木刀で斬りかかって来る。
 祭はその迫力に負けそうになりながらも、なんとか防御をとるのだった。



 ……二時間後。
 すっかり息も絶え絶えの祭を余所に、姫野は事務的に告げる。
 
「……総合的に判断して、あなたはどうやら防御よりも攻撃性に優れているようですね」
「はぁ……」
「悪いことではありませんが、もう少し考えが必要です。昼間のことといい、テンションが上がるとむちゃくちゃな行動にでる傾向があるようですし」
「……なんか……、姫野先輩……、アンリみたいですね……」
 肩で呼吸を整えながらごねる。
 姫野はさすがに、激しい運動のあとでも息一つきらしていないようだった。
 祭はというと、胴着は乱れ、下着にしていたキャミソールが見えている。そのうえ結った三つあみがほどけ、顔は汗だらけ。
 せっかく朝忙しい中を作り上げてきたコスメ顔が、テカテカと光りだしているのだ。顔を鏡で見るのが怖い。
「ふぅ、……あたしが小林梨世さんに似てるっていうなら、きっと姫野先輩はアンリですよ。なんか細かいことに神経質なんですもん。それに、今の姫野先輩と同じこと、あたしに言ったし」
「アンリ……」
「アンリ・グラント。腐れ縁なんです。中学からの同級生で、高校も一緒。ようやく就職活動では別になるだろうって思ったら、希望は同じヘヴンズ、しかも二人とも合格して同じ課に配属されるなんて……」
「それも、確か祭さんとアンリさんはパートナーを組んでいましたね」
「しかたないじゃないですか。トワ先輩の指示なんですもん、好きで一緒にいるわけじゃないです!」
「……境遇が近いなら、パートナーとしては最適です。共有できる部分が多いほど、仕事の面でも適切なサポートが互いを通じて行えます」
「……なんですか? それ」
「祭さんがアンリさんとパートナーを組まされた理由です。トワさんは何も考えずに組み合わせを行う人でもないでしょう」
「それはそうかもしれませんけど……いい加減、小言ばかりのアンリと組むのはうんざりです。かっこいい決めセリフの時につっこむし!」
 そう言って姫野を見ると、絶対に笑わないはずの彼女が少しだけ……ほんの少しだけ、微笑んだような気がした。
 が、まじまじと見るとやはりいつもの無表情の彼女だった。
 その唇が動く。そして、あくまでも淡々と、彼女は言う。
「長く付き合っているつもりでも、まだ相手をわかっていないことがあるものです」
「……あたしはまだ、アンリをわかってないってことですか?」
「平たく言うとそうなりますね」
「それも冗談?」
「いいえ、本気です」
「……姫野先輩はよくわかりません」
「よく言われます」
 やはり淡々と、無表情に彼女は言うのだった。
 その様が、また祭にアンリを思い出させた。
「……う〜ん、もしかして先輩、アンリにも何か指導してるんですか?」
「ええ、書類作成やデータ編集を」
「……やっぱり」
 おそらく、最近アンリがやけに以前よりも淡白になったのは姫野の影響なのだろう。
「さて、何を納得したのかはわかりかねますが、今日の稽古はこのあたりにしましょう。日も沈んできたことですし」
「……ありがとうございました! ……あ、そうだ姫野先輩!」
 去ろうとしている彼女を呼び止める。と、姫野は音もなく、優雅に振り返った。
「あのー、ちょっとお尋ねしますけど、オレンジっぽい茶髪で、ちょっと憂鬱そうな顔で、一課のあたりにいつも見かける男性エージェントって知りませんか? 姫野先輩、捜査一課でしょう?」
「ええ。しかし、見かけない顔ならすぐに気付きます。そのような人がいたかどうかは……」
「……じゃあ、もし見かけたら、教えてくださいね!」
「わかりました。名前を教えてください。データを集めておきます」
「あ、名前知らないんです。それで、姫野先輩ならなにか知ってるかなぁって」
「そうですか。それは残念ですね。……それでは、また明日」
「はい、おつかれさまでした!!」
 深く礼をして、祭は方向転換した。更衣室で着替えをさっさと済ますと、地下の訓練場を出る。
 12階のオフィスロッカーに荷物をおいたままにしているので、それを取りにエスカレーターを駆け上がった。
 捜査一課のオフィスの前を通りすぎ、二課に入ろうとしたところで、アンリと出くわす。
「稽古、終わったんだ」
「まぁね」
 短く返すと、そのままロッカールームに急いだ。
 アンリが何故かこちらをちらっと見ていたが、さすがに男子禁制の女子ロッカールームまで追いかけるつもりもないらしい。
 帰り支度をするあいだ、祭は窓の外を見ていたが、アンリがパソコンを抱えたままそこで待っている。
 ロッカールームの扉の窓は、マジックミラーのようになっているのだ。
 防犯・痴漢対策のために、ロッカーの中からドアの向こうは見えるのだが、向こうからはこちらを覗いてもだたの真っ暗闇でしかない。
 かちゃり、と静かに扉を開けると、気まずそうなアンリがいた。
「何してんの?」
「……祭を待ってた以外になにかあるか? どうせ今日も僕の車で帰ろうと思って、そんな薄着なんだろ?」
「嫌がらせ?」
「……いや……昼間……悪かったと思って。考えがなさすぎ、とか……言い過ぎた。ごめん」
「……いいよ。気にしてないよ。いつものことだし」
「本当に? ……その顔はそんな風に見えないけど」
 碧眼がじっと祭を覗き込んだ。その少し離れた頬に、絆創膏が目立っている。
 ふぅ、と一息ついて、祭は笑う。
「マジマジ。マジに気にしてないって。それにさ、あたしがそもそも迷惑かけたんだから、アンリは悪くないよ。ケガもさせちゃってさ……」
 言うと、彼はほっとしたように表情を和らげた。
「じゃあ、『みやび』であんみつ食べて帰るか?」
「え、アンリのおごり? 行く行くっ!」
「って、誰もそんなこと言ってないだろ……」
「男なら一度言ったことは守りなさーい!」
「だから言ってないって!」
「なによ、あたしと仲直りしたかったんじゃなかったの?」
「もういい。祭につきあってたら、僕の全財産がなくなっちゃうだろ」
「あんみつくらいでなくならないって。車、駐車場に止めてあるんでしょ? あたし運転するからさぁ」
 強引にアンリの腕をひっぱって、祭は歩き出した。
 途中で手を離したが、アンリはきちんと、追って歩いてきていた。