Are you READY?
2
冬のアフター5を回った街は、イルミネーションに彩られていた。
軽に乗り込み、助手席にアンリを座らせ、祭は鼻歌交じりにハンドルを切る。
「あんみつ〜あんみつ〜、みやびのあんみつ〜っ。……ん、いつ乗っても運転しやすいわ、アンリの愛車」
「傷つけるなよ。ローン始まったばかりなんだから」
「大丈夫。こう見えてもあたし、ヘヴンズの運転免許試験は誰よりも早く受かってるんだから」
「耳タコ」
アンリが手で耳をふさいだ。
「そういえば、街がいつもより賑やかみたいだけど……」
「もうすぐクリスマスだからだろ?」
「あぁ、そっか、クリスマスね。忘れるところだったわ」
「祭の場合、予定も入ってないんだから仕方ないんじゃないか?」
「予定?」
バックミラーを確認しながら考える。
アンリの言わんとしていることがわかると、ムっとした。
「えーえー、どうせ今年も一人っきりですよ。大体ねぇ、世の中の男って見る目ないと思わない? こんな明るくて可愛くて楽しい子がここにいるっていうのに、誰も誘ってくれないんだから」
「君のそういう性格が問題なんだろ……」
「何よ、どうせあんただって相手ナシで一人のくせに」
お互い様、と祭は付け加えるつもりだったが、アンリは何も言い返してこない。
「…………て、まさか!?」
赤信号にぶつかって、ブレーキをかけた。
アンリを振り向くと、その顔がそっぽを向いている。
「……ええー!? いつの間に!? 相手誰よ!? ヘヴンズの子? それとも、学生時代の同級生? だったらあたしの知ってる子よね? ねぇ、誰よ!!」
「違う。何勘違いしてるんだよ。……僕はクリスマスイヴもクリスマスも、夜勤で仕事入ってる……姫野先輩の手伝いで……」
「姫野先輩と?」
「そうだよ……」
「だったらあたしだって誘われてもおかしくないのに。なんで先輩声かけてくれなかったんだろ……」
「手伝いって言っても一課と二課総合のデータ処理だよ。祭には向いてないだろ。……それに、手伝いさせて欲しいって僕から申し出たんだから、君が誘われないのは当たり前だ」
「なんでわざわざ、あんたからそんなこと……」
目の前には交差点が広がっている。
祭は行き交う人をぼおっと見ながら、ある答えに辿り着こうとしていた。
「…………もしかして…………アンリ、姫野先輩が好きなの?」
おそるおそる尋ねると、間があいてから、アンリの顔がちょっとだけ赤くなったような気がした。
「……ええええええぇぇぇぇぇぇ!?」
「うるさいな! 別に恋愛感情とかそういうのじゃないよ。憧れなんだ」
「へぇ、へぇ、へぇ、意外じゃないけど意外かもっ!」
「僕のことはいい! 君こそ例の「あの人」が居るくせに他の男にちやほやされたいなんて、不謹慎じゃないか?」
「なーんであんたにそんなこと言われなくちゃいけないのよっ。あたしだってねぇ、名前と所属さえわかったら今頃アタックしかけてるもん。ヘヴンズの関係者ってことは間違いなさそうだし、今日姫野先輩にも協力お願いしたし、アンリに心配されるようなことじゃ……」
「祭、信号、青になってる」
アンリが言いながら指を指した。
それにしたがってアクセルを踏み込もうとしたとき、隣車線を猛スピードで一台の車が通り過ぎた。
「何、今の?」
「……シュヴァルだ。かなりスピード出てたな……」
「シュヴァル〜?」
「自動車メーカークニヒラが社運をかけて創りあげた、今世紀発売された中ではもっとも高機能でフォルムも美しいと賞される高級車だよ。ちなみにあの赤のボディはU型だな」
「何よ、どいつもこいつも、クリスマスだからって!」
「それ関係ないと思うけど」
アンリがつぶやいたその直後だった。
フロントの画面に「CAUTION」の文字が点滅する。
ヘヴンズからの通信だ。
2人のリストバンド型モバイルから転送された情報が車内に転送される。
そのスピーカーから聞こえたのは同じ捜査二課に所属している同僚エージェントの声だった。
『Fブロック均衡を走行中のエージェントに連絡します。現在、天使族の強盗殺人犯がFブロック地域を逃走中。現在本社から何台か追行中ですが、緊急出動のために応援を要請します。手が空いているエージェント及びガーディアンは、至急、逃走車の追行を。車種は赤の乗用車シュヴァル、盗難車、ナンバーAA46ー493、衛星からの位置確認は現在調査中……繰り返します、Fブロック均衡を走行中の……』
「……アンリ、シュヴァルってシェアどれくらいかな?」
「……シュヴァルUなら結構な年代物だし、普通のサラリーマンの年収でホイホイと買えるような品じゃないな」
「ってことはつまり、赤いシュヴァルが何の意味もなくスピード違反を犯してまでこんな街中を走ってるわけがないってことよね?」
「そうなる、かな……」
「さっきの車、ナンバー見た?」
「動体視力には自信あるつもりだけど、さすがに急のことだったし」
「どう思う?」
「……アタリ」
「なら、あんみつはお預けね……」
後ろの列から車のクラクションが煩い。
青信号なのに祭が動かないので、業を煮やしたのだろう。
が、アンリが窓をあけて、車の上に携帯用のサイレン機を取り付けると、列のブーイングが一斉にやんだ。
「アンリ、つかまってて。飛ばすわ」
「いいけど、くれぐれも傷つけるなよ、僕のミニョン!」
「あのシュヴァルのほうが心配よ! 年代物なんでしょ? カーマニアのあんたがシュヴァルよりもミニョンをとるわけ?」
それに対してアンリが何か言おうとする前に、祭は思いっきりアクセルを踏んだ。
エンジンがうねりを上げると同時に、体が座席へと叩きつけられる。
「……っ! 傷つけたら絶対に弁償してもらうからな!」
「了解! でも傷つけないからまかせてっ!」
どんどんスピードを上げながら、連なる車の列の間をすり抜けていく。
道は渋滞とまではいかないものの、帰宅ラッシュなのか混んでいた。
この通りはいつもそうなので珍しいことはない。ただ、赤いシュヴァルは慣れていないようだ。
「見つけた、シュヴァル!」
祭ほどテクニックがないので、上手く車の群れを抜けることができないでいるらしい赤い車体は、それでもすばやい動きで前へ前へとすすんでいく。
「どこ逃げるつもりかな? こんな目立つ車に乗ってたんじゃ、いずれ捕まるのはミエミエなのに」
「さぁ……でも、あれに間違いなさそうだな」
アンリがフロントに手を伸ばす。
ヘヴンズのオペレーションシステムにアクセスすると、事務的に述べた。
「ナンバーRS77−0021、軽のミニョン、赤のシュヴァルを確認しました。現在Fブロックの南方に向かって追行中。搭乗者はアンリ・グラント及び有働祭エージェントです。追行を続けます」
『了解しました。ネットワークでミニョンの現在位置を、これより走行中の全車体に公開します。シュヴァル追行中の他車はネットワークに接続してください……繰り返します……』
オペレートが続く。
祭はハンドルをこまめに切り返し、ポルシェの脇に近づいた。
斜め前に赤い艶やかな車体が見えている。
「年代物のわりには綺麗な車体だな」
アンリが言った。
「盗難車って話よね。どこかの大富豪が盗まれたんじゃないの? 乗ってるのは強盗犯らしいし」
言うと、シュヴァルはこちらの存在に気付いたらしくスピードを上げた。
先は高速道路との分かれ道になっている。その入り口に、赤い車体が飛び込んだ。
祭もそれを追う。
「この先って……! ディーテ・パークよね?」
「ディーテ・パーク?」
「知らないの? 海上テーマパークよ。正しくはアフロディーテ・パークっていうの。ホントは海岸沿いのAブロックを通って行くんだけど、この高速は直接ディーテ・パークに繋がってて、Fブロックからも入れるようになってるってわけ」
「ずいぶん詳しいね。そういうことには」
「一言余計よっ!」
祭はシュヴァルを追いながら、目前に見えてきた海を見やった。
アフロディーテ・パークもクリスマスシーズンなのでイルミネーションが賑やかである。
まるで漆黒に染まった海の上を、光で創られた建物が浮いているように見えた。
「まさかあそこに逃げ込むつもり?」
「テーマパークもこの時期なら普段より人が多い……紛れ込むとしたら最高の場所だけど……中に入るなら車を捨てないと駄目だろうな」
「……でもさ、強盗犯なんでしょ? 何か盗んだものとかあるんじゃないの? それはどうするわけ?」
「……とすると、目的地はそのテーマパークじゃないんだろ」
「……そうでもないみたい」
シュヴァルは迷わず、ディーテ・パークの入り口へと繋がる道を選んだ。
祭も同じ方向へと車線を移動する。
二つの車は普段では考えられないスピードと保ったまま、ディーテ・パークのパーキングエリアに突入した。
広い走行スペースにシュヴァルがその車体を止める。
祭もギリギリまでせまってミニョンを停止させたが、相手はやはり、それよりも数十秒早かった。
こちらがシートベルトを外して車から降りようとする合間に、シュヴァルから人影が出てくる。
――女だった。
年齢にして、三十代からその後半あたりだろう。パリっとしたスーツを着込んでいた。
そのあとを、車体から女の子がついて出てきた。フリルがたっぷりあしらわれたエプロンドレスに身を包み、手にウサギのぬいぐるみを持っている。
そのちいさな女の子を小脇に抱えるようにして、女は走り出した。
「祭!」
「わかってる。けど、あの女の子何!?」
「あの女性の子供とか?」
「子供連れて強盗殺人する女がいるの!?」
「僕に訊くなよ」
「とにかくあたしは追いかける。あんたは本部に連絡とって」
「待てよ、一人で追っても危険なだけだ。大体君は昼間もあんな大げさな破壊行為をしたあとだろ、行くなら……」
「そんなこと言ってる場合なの? 逃げちゃうじゃないの、犯人!」
「祭!!」
「うるさいなぁっ! 一人で大丈夫だし、あたしだって昼間のことは反省してる!!」
「そういう問題じゃない! 僕は君のパートナーだ。監督権ってものもある!」
「いくらパートナーだからってねぇ、腐れ縁のうえ毎日そう小姑みたいにグチグチ言われる筋合いはないわよ!」
ミニョンから飛び出し、祭は女を追った。
背後からアンリの声が聞こえている。
「……もう知らないからな、勝手にしろ!」
「えー、えー、勝手にするわよっ、バカ!!」
「バカはどっちだよ!!」
というセリフが聞こえたか聞こえなかったか。
そんなことはおかまいなしに、祭はスーツの女を追った。
人ごみにまぎれ、彼女は上手くパークの入り口をすり抜ける。
機械ではなく、ヒトが入場を管理するその場。祭は着ている制服の腕章を見せようとしたが、できなかった。
考えてみれば制服はすでにヘヴンズ本社を出る時に、私服へ着替えてきてしまっていたのだ。
腕章が駄目ならば、IDカードを示すしかない。
ウエストポーチからヘヴンズのカードを取り、パーク員に突き出す。
するとバイトらしいひょろっとした男子が、驚いた顔をして無言のまま、祭を園内に通してくれた。
「ご協力ありがとうございます!」
謝礼もそこそこに、女を探す。
スーツの客は少なくない。あちこちに似たような背格好の女がいる。
しかし、その中にエプロンドレスの少女を連れた者が一人紛れ込んでいた。
彼女は祭を撒いたとでも思ったのか、今や焦る様子もなく少女の手をひいて歩いている。
「居た……! でもどうしよう、走って追いかけたら逃げられそうだし、かといって牽制できるほど安全な場所でもないし……」
独り言が勝手に口から飛び出る。
テーマパークの華やかな音楽に、祭は舌打ちしそうになった。
「あたしが牽制に使えそうなアビリティは衝撃(インパクト)しかない……だけどこうヒトが多いんじゃ、あの犯人に当たるどころか他の一般人が危ないし……。でも、とにかく、逃がさなければいいのよ。向こうはあたしに気がついてない……いける、大丈夫」
まるで自分自身を励ますように、祭はつぶやき、女を尾行した。
彼女は少女の手をひき、アトラクションを回っているようだ。
「あの子は一体何なのかしら……やっぱ、あのヒトの子供?」
メリーゴーランドに乗っている二人を影からこっそり見守りつつ、祭は考える。
その時、手首につけていたリスト・モバイルが音を立てた。
腕時計モードにしてあるそこから、ホログラム映像が現れる。
『有働か?』
「トワ先輩!」
『強盗殺人犯を追ってるんだってな。俺んとこにも情報が入ってきたんで、連絡したんだけどさ』
「はい、尾行中です。今、遊園地なんであまり派手なこともできないし、とにかく様子見ようと思って何もしてないんですけど……」
『ってことはお前、犯人の女見えてるんだな!?』
トワの声が少しだけ大きくなった。
「はい、少し離れたとこから……それが、どうかしたんですか?」
『そこにちっちゃい女の子いねーか? 4歳くらいの!』
「え? ああ、居ます……」
『……有働、俺様の話を落ち着いて、よーく聞けよ』
「はい?」
ホログラムのトワがやけに真剣な顔をしたのだが、事情が飲み込めずに首をかしげる。
彼は続けた。
『その子は人質だ。強盗に入られた国平家の社長令嬢なんだよ』
「ぇ、ええぇ!?」
『状況はどうなってんだ!?』
「え、えっと……犯人と……そのご令嬢、かなり仲良くメリーゴーランドに乗ってたりするんですけど……!?」
『仲良くぅ?』
「はぁ……こう、まるで親子みたいな。あたしも最初、二人は親子かと思ったんですもん。けど強盗殺人犯って聞いてたし、まさか自分の子供つれて殺人するヒトなんて居ないんじゃないかなぁって……」
『そっか、わかった。すぐに応援が向かうと思うけどな、それまでそいつから目ぇ離すなよ。それと、アンリに替われ』
「え、アンリ……ですか?」
『一緒なんだろ、お前ら』
「いや、その……今別行動をとってまして」
『なら、お前でもいーや。俺さ、あいつに今日、”犯罪者が人質をとってる場合の対処法について”っつーデータ資料をせがまれて、渡したんだよ。けど姫野が言うには、真面目すぎるアンリにはそういうマニュアルは渡さないほうがいいんだとさ。だから、アレは読まずに返せって言っておいてくれ』
「……なんですか、その資料?」
『タイトル通りだ。……アンリなら、もしかしたらもう読んじまったかもしれねーけどな。その場合は、内容全部忘れろって言っとけ。じゃぁな、とにかく応援が行くまでは無茶すんなよ、有働!』
「え? ちょっと先輩……!」
プツリ、と通信が途絶え、トワの姿は消えてしまった。
「……相変わらず忙しいというか、なんというか……って、んなことのんびり言ってる場合じゃない」
メリーゴーランドの方に、再び視線を向ける。
しかし、トワと話している間にターゲットである二人は別の場所に移動してしまったようだ。
すでに白馬やかぼちゃの馬車は回転を止めていて、次のグループの列が、新たに乗り込もうとしているところだった。
「しまった……! もう、どこ行ったのよ、人質がいるっていうのにーっ!」
左右を見渡した。
しかしそれらしい女も少女も居ない。
楽しそうに休暇を過ごす人々が、次々、祭とすれ違う。
「ねぇアンリ、行動シミュレーションのデータを呼び出してよ、あんたなら……」
振り返って、相方を探した。
しかし、そこに黒髪と碧眼を持つ彼の姿はない。
「……そーでした」
はき捨てるように言い、祭は頭を切り替えるために首を横に激しく振った。
「アンリなんか、いなくて結構。自力で犯人逮捕してやるわよ。うん、大丈夫、大丈夫…………あっ!」
思わず声をあげてしまった。
大勢が往来する、噴水の広場に女と少女を見つけたのだ。
二人は大きな円形の建物へと向かう。
女が少女の手をひき、ゆっくりと歩いていくその姿は、園内へ入ったときと同じだった。
本当にあの少女は人質なのだろうか。
手をひかれ、ウサギのぬいぐるみを抱いて朗らかな笑みさえ浮かべている。
女のほうも、どうも強盗殺人という凶悪事件を起こしたような当人には見えない。
そんな二人が入っていったのは、ミラーハウスだった。
人魚姫がモチーフになっているらしく、入り口で虹色貝を手にした模型の海のプリンセスがこちらを招いている。
祭も後に続いた。
「……うわ……寒っ……」
ミラーハウスに入って数分後。
薄着の自分を抱きしめながら、つぶやいた。
あたり一面鏡だらけの通路が祭の分身をいくつも映し出している。
キラキラと輝く鏡や、全身が細く見えたり、逆に太く見えたりするものもある。
ハウスの中は暖房が効いているはずなのに、シンとした空気と虚像の自分に囲まれて、背中がゾクリと粟立つ感覚はぬぐえなかった。
「うう、なんかこう見ると結構横幅が……」
何気に自分のウエストを確かめながら、祭は後悔していた。
ついさっきまでは順調に女と少女を尾行できていたのだが、またもこのミラーハウスの中で彼女達を見失ってしまったのである。
ほんの少し気を抜いたのがいけなかったのだ。
女が向かったと思われる角を祭が曲がろうとすると、そこは通路ではなく行き止まりだった。
「……はぁ、完全に迷ってるしぃ……」
頭を抱え、傍に鏡にもたれかかる。
こんなときはどうすればいいのだろう。
まず、ミラーハウスを出ることが先決かもしれない。
だが、女と少女は見失っている。
よしんば無事にミラーハウスを出られたとしても、すでに彼女達がこの場を脱出しているかどうかもわからないのであれば次の行動もむやみにとれない。
それでもやはり、自由な動きが出来ないこの場所とは早くおさらばしたいところだ。
「でもどうやって、出口を探せば……」
自分がどちらからやってきたかもわからないというのに。
そんな風に……考えるのは、祭の仕事ではなかった。急に思考回路をどうにかしようとしたところで、いいアイディアがすぐに浮かぶことは無い。
どちらかというと、こういうのはアンリの得意分野だ。
いつだって祭の行動の先を読み、次の指示を与えてくれている。
そして彼は、そのつど祭のサポートに勤めた。それは、怖いくらいに正確に、そして迅速に。
「アンリならどうする? 鏡の迷路で迷ったとき、一番早く出口にたどり着くには……」
口に出して考えてみるが……やはり駄目だった。
「一人で追っても危険なだけだ」
アンリの言葉が蘇った。
「そんなこと言ったって……ぐずぐずしてたら逃げられてたかもしれない……」
思い立ったら吉日だ。
考えるより行動。でなければ、間に合わないこともある。
祭はそんな自分を間違っていると思ったことは無い。かといって、アンリのように考えを組み立ててから行動することが全てにおいて正しいとも思えない。
鏡にもたれるのをやめて、少し体を浮かせた。
まだ冷たさを感じる自分を抱きしめる。
……と、その拍子に他の鏡に何か横切るのが見えた。
ハッとして鏡から離れる。……が、祭以外には、この空間に何も存在していない。
背中が凍りつくような悪寒が走った。
そして突然、自分がかなり危険な状況にいることを思い知る。
迷路になったミラーハウス。
女を追って入ったが、彼女は見失ってしまっている。
それもただの一般人とは違うのだ。強盗殺人を犯している、異種族。
もし、女が追手に気付いていたら……こんな、右も左もわからない空間で、彼女に突然後ろから襲われるかもしれない。
……そうなったとき、対処できるかどうか。
自分の刀術には多少なりとも自信はあった。
しかしそれは相手が特定されているか、認識できる状態での話だ。
気配もなく近づかれては、抜刀する隙さえもなくこちらが殺られる可能性だって否めない。
「そうだ、モバイルで先輩に連絡……」
思いついて腕を見る。
「……って、圏外……?」
目を伏せ、がっくりと肩を落とした。
天井も壁も、周り全てがそんな自分で埋まっている。
「こ……心細くなんかないもん……」
ぎゅっと拳を握り締める。
「あたしは、ヘヴンズの捜査二課エージェントなのよ……アンリなんかいなくても……心細くなんか……」
向かい合った鏡にはさまれて、何列にも連なる分身達。
そこを、また何か黒いものが横切る。今度こそはっきり見えた。
「いやぁぁぁぁーっ!!」
瞬間、腰のあたりに巻いていた飾りベルトを手にすると、祭はそれを、アビリティで幻刀・玉兎に変化させていた。
黒いものは、もう鏡に映っていない……。
「……怖くなんか……怖くなんかないしっ……」
ぶつぶつ言いながら一歩前に出ると、突如、肩のあたりに誰かの手の感触があった。
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!?」
思いっきり玉兎を振りかぶり、構えも気にせずに目を瞑ったまま背後に斬りかかる。
しかしその太刀は、数本目で見破られ、顔をも見ない相手に受け止められてしまった。
「やだぁ! 死にたくない〜!! まだ青春の『せ』の字も味わってないのにっ! かっこいい彼氏もいないのにっ! あの人の名前も知らないのにっ、アンリと仲直りしてないのに〜!!」
「祭!」
「ぎゃー! イヤだってば! 来ないでぇ!!」
「……祭……」
「大体なんであたしの名前知ってんのよー!!」
「何、わけのわからないことを……とにかく目を開けろよ」
「……目?」
言われたとおりに開けてみると、ぽろりと涙が頬を伝った。
にじんだ景色の向こうに、アンリが居る。
「……あたし頭がどうかしたのかな……なんでアンリが?」
「僕は本当に君がおかしくなったのかと思ったよ、今」
「しかも喋ってるし!」
「語弊がないように言っておくよ。僕は、アンリ・グラントだ。間違っても幻とかそういう類じゃないからな」
「…………?」
首を傾げてみた。
玉兎は、まだ祭の手の中にあり、先のほうを相手に白刃取りされている。
「…………アンリ!?」
「そうだよ」
「なんでここに!?」
「君を追いかけちゃ悪いのか? 本部に連絡は済ましたんだから、文句ないだろ」
アンリは言いながら、祭の玉兎を解除(キャンセル)した。
彼が持つアビリティである。相手のアビリティに触れることさえできれば、どんなものであろうとその存在を無に還す。
「……それができるの……アンリだけだ……」
「だから、僕だって言ってるじゃないか」
彼は半眼になって祭を見た。
その瞳が、ずっと前から知っている深い青と緑の混ざった不思議な色で……。
「……祭? 泣いてる?」
「……だって……!」
「情けないな……」
「だって怖かったのよ? めちゃくちゃ!! それはもう背中が凍っちゃうかと思ったんだから!」
「実際凍ってたんじゃないのか? この時期にそんな薄着で」
「そういう凍るじゃないわよ!」
「……知ってるよ。ただの冗談じゃないか」
「冗談は姫野先輩だけで十分よ、バカぁ!!」
「わかった、わかったから……とりあえず涙拭いたら?」
ハンカチを差し出された。素直に受け取り、祭は顔を拭いてから鼻水をかむ。
「……お約束だね、君ってヤツは」
「洗って返す」
「いらない」
きっぱりと言われて、何故かほっとした。
彼は間違いなくアンリだ。
腐れ縁で……だからこそ、いつも言葉に遠慮が無い。
なのにこのハンカチに宿る優しさ。それがアンリだ。
「その様子だと、あの女性は見失ったみたいだな」
「…………うん」
「姫野先輩が居れば知覚(パーセプション)で、このミラーハウスに彼女がいるかどうかくらいはわかるだろうけど……今はそれも望めないか。ココ、通信もできないし」
「……そういえばアンリ、なんであたしがここに居るってわかったの?」
「リスト・モバイルで」
「なんでよ、そんなことできるはずないのに」
モバイルの通信機能を使って、相手の居場所を特定することは可能である。しかし、このミラーハウスは圏外だ。
祭の居場所を、通信機能で知る方法はとれない。
「簡単な話だよ。僕は祭に連絡を取ろうとしたのにできなかった……連絡がとれないということは、通信ができない場所に相手がいるか、通信機能が壊れているかくらいだろ? よっぽどのことが無い限りリスト・モバイルは壊れたりする代物じゃないし、とすると、君は圏外のところにいるんじゃないかって思いついたんだ。……で、調べてみたら、このパーク内で圏外なのはこのミラーハウスだけで……」
「なるほど……」
リスト・モバイルを眺めて、祭は頷いた。
そして気付く。……自分達から数メートルほど離れたすぐ近くの距離……ヒトの気配だ。
「……アンリ、下がって!」
「え!?」
パートナーの背中を思いっきり後ろ手で突き飛ばした。
よろめきながらもアンリが後退し、代わりに祭が気配の前へと一歩踏み出す。
視界の鏡には、相変わらず自分の姿がある。
その中に潜む『何か』に対し、祭はもう一度実現(リアライズ)で玉兎を造りだした。
踏み込み、一枚の鏡を斬る。
厚さ数センチの鏡はまっすぐな切れ目にそって断たれ、重みのある音と共に崩れる。
「祭?」
「何かいるの……! ううん、いないのかもしれないけど……さっきから視線を感じる」
「……犯人の、アビリティか……?」
「あんたならわかる……?」
「種類を特定することは不可能でも、大体の構想と効力くらいなら」
相手は強く答えてきた。
祭は、玉兎を構えたまま、そんなアンリを振り返りはしなかった。
神経を研ぎ澄ますためとも言えたが、実際は面と向かって、言葉を発することができなかったからかもしれなかった。
「……頼りにしてるわ」
「期待に答えられるよう善処するよ」
鏡の世界の中を背中合わせに立って、見えない『何か』と二人は対峙した。