Are you READY?
3
気配は段々とその姿を現した。
祭の斬った鏡の向こうから、黒い人影がゆっくりと近づく。
無意識に相棒をかばうように、後ろ手を伸ばし、祭は影を凝視する。
暗がりから出てきたのは……少女だった。
犯人の女が、手をつないでいた、まだ4、5歳ほどに見える彼女。
祭が見たままの格好だった。
左手にウサギのぬいぐるみを抱え、こちらに少しずつ近づいてくる。
「……君は……!」
アンリが声をあげた。
「知ってるの?」
「本部に連絡した際に、あらかたの情報は得てる。あの子人質だろ?」
「そうだけど……」
こくり、とつばを飲み込んだ。
さっきから感じている気配は確かに祭へ向かってきているし、それがこの少女のものだというならば納得がいった。
それより不審なのは、人質であるはずの彼女が、一緒にいた犯人と別行動をしていることだ。
近くに犯人の女がいるような『感じ』はしない……。
「ヘンよ……」
「……わかってる。気をつけるに越したことはないよ」
アンリも同じことを考えていたのか、祭に同意した。
ただ、ゆっくりと近づくその少女に、祭は刃である『玉兎』を向けることをためらった。
フリルのエプロンドレスがゆれている。
その姿に、刀を構えることは心が痛む。
祭は、玉兎を下ろす。
「……ねぇ、一緒にいた人は?」
距離を置いたまま、少女に声をかける。
「祭!」
「アンリはそこにいて。とにかく、話聞かないと……」
「罠ってことも考えられる」
「こんな小さな子に、罠なんて仕込めないでしょ?」
「そんなのわかるわけないだろ?」
「……でも、じゃあ……このままどうしろっていうのよ」
「……わかった。油断するなよ」
「OK」
小声でそんな会話を交わしたあと、祭は少女に自らも近づく。
「……ひとり? 危ないから、お家帰ろ?」
そうしてしゃがみこんで、少女の目を覗き込んだ。
ブラウンのどんぐり眼が祭をぼーっと見つめている。
そして……。
「……おねえちゃん、誰?」
そんな言葉が、少女からこぼれ出た。
「あたしは……えーっと、……あなたを迎えにきたのよ」
「ルリちゃんを?」
「あなた、ルリっていうの?」
「うん」
「……女の人と一緒にいたよね。怖くなかった? もう大丈夫だよ?」
「怖くないよ。メアリーが一緒だったもん」
ぎゅ、と少女がウサギのぬいぐるみを抱きしめた。
「……ルリちゃん、女の人、どこに行ったかわかる?」
核心に触れようと尋ねるが、少女は首を振る。
それから、首をかしげて祭のほうを見上げ、言った。
「……ママを探してるの?」
「ママ!?」
祭は思わず、声をあげてしまった。
アンリを振り返ると、彼も真剣な表情で何か考え事をしている。
「犯人の子供……? なら、国平家の人質って話は?」
「あたしにきかないでよ」
「別にきいてるわけじゃないよ」
「……とにかく……保護したほうがいいよね……?」
「……だろうね」
相棒がうなずいたので、祭は玉兎を手放した。
その手で、ルリという少女を引き寄せる。
……が。
「離しなさい!!」
……と、そんな声が聞こえた気がした。
瞬間、伸ばした手に鋭い痛みが走る。
「っ、ァグっ!!」
「祭!」
「大丈夫、ちょっと切れただけ! 気をつけて、なんか飛んできた!」
「どこからの攻撃だ……?」
言いつつ、アンリはルリをかばうために彼女をひきよせようとした。
再び、祭の腕に鋭い痛みが走る。
そして今度こそはその痛みの原因を正体を目で捉えた。
刃だ。
鋭くとがった、ガラスのような刃がさらに数本飛び込んでくる。
「祭、避けろ!」
「言われなくたって! ルリちゃん、じっとしてて!!」
少女をかばい、祭が移動しようと膝に重力をかけた。
しかし、暗闇の向こうからまたもそれを制止する声が発せられる。
「その子は離しなさい!! さもなくば命を奪うわよ」
女の声だ。凛々しさの中に、少々こわばったような印象をうける。
「……攻撃をしかけておいてそれはないんじゃないかしら。素性も知れず、姿も見せない怪しい人物に、こんな小さな女の子をあけわたすほど、有働祭は、落ちぶれちゃあいないわよ」
玉兎を構える。チャキ、と金属音がミラーハウスに響いた。
「…………アンタたち、ヘヴンズね」
祭の声に反応したらしい人物は、姿を現した。
すらりと伸びた手足。キリっとした表情。……女だ。
闇から出てきたその人物を見て、ルリが口を開く。
「ママ……」
「……あの人、シュヴァルで逃げてた強盗殺人犯だよな!?」
アンリが口を挟んだ。
その言葉に女がこめかみを一瞬震えさせた。
彼女は心外だとでも言うように、アンリに向かってつぶやく。
「強盗殺人犯……ですって?」
「情報によると、クニヒラ家の若社長を何らかのアビリティで刺殺……その後、彼の一人娘を人質にとり、現金とシュヴァルを強奪、逃走……」
「なるほど。犯した罪はつぐなうべきよね、犯人さん?」
祭が一歩前に出た。
そのすきに、アンリがルリを引き寄せる。
突如女が動き、腕を振る。その動きに合わせて、周りの鏡が一斉に割れた。
「なっ……!」
祭が声を上げる瞬間すらも女の動きは止まらず、割れた鏡の破片がその動きに合わせるように空中へ浮かぶ。
そのまま、破片は鋭い光を放ちながら祭に向かって直進した。
「さっきの攻撃……!! これは、制御(コントロール)アビリティ!?」
「祭、下がれ! 防壁(プリベンション)!」
閃光が走り、祭とアンリの周りに淡い光のオーラが発生する。
膜のようなそれは、向かってくる鏡の破片を全て跳ね除け、その後一瞬で姿を消した。
「いける! あんたのこのアビリティがあれば、怖いものなしね」
「……防壁(プリベンション)はエネルギーをかなり消費する。もってあと2,3回だってこと、忘れないでもらいたいな」
「うわ、マジ!? ……でも、とにかく、やられる前にやればいいのよね」
「できるものならやってみなさい」
凍るような瞳の、犯人の女がつぶやいた。
かと思うと、次の瞬間、猛スピードで自ら祭のほうへと駆けてくる。
わずか数秒の出来事。
祭は玉兎で応戦した。
女と共に向かってくる新たな鏡の破片の刃。
数本は玉兎で叩き落すことができたが、残りの大量の刃で、カットソーを引き裂かれる。
腕からは血がにじみ、結っていた髪が片方解けた。
それでも、標的からは目を離さない。
「……くっ!」
キィン!! という、頭が割れそうなほど奇怪な音が耳元で響いた。
女がいつのまにか手にしていた、ひときわおおきなガラスの破片――それはまるで剣と似ている――その凶器と、祭の玉兎が接触したのだ。
女の攻撃をなんとか防ぎ、力任せに押し返す。
だが二度目に女がガラスの剣を振りかぶったとき、玉兎での防御は間に合いそうになかった。
「防壁(プリベンション)!!」
少し離れた場所から、そんなアンリの声が聞える。
光の膜が祭を覆った。
「……やっかいね! この小娘! それにあの少年……!」
女が吐き捨てる。
ガラスの刃はアンリが祭の周りに創り出したバリアであっけなく跳ね返されてしまったのだ。
「サンキューアンリ……って、ちょっとアンリ!?」
祭が見やると、アンリは片膝をついて息を荒くしていた。
「何……まさか、精神力の使いすぎじゃ……」
アビリティの使用は、使う本人の精神力を大量に消費する。
アンリの場合、祭が混乱してた際に、玉兎をキャンセルしたことと、今の防壁バリアを2度も使ったことでかなりのダメージを得たのだろう。
「……なるほど。あの子は役立たずになったってことね。いいわ、おとなしくルリをこちらに渡せば、命は奪わない……」
女が攻撃をやめ、玉兎をまだ構えている祭に告げる。
「冗談でしょう……強盗殺人犯のそんな言葉を信じられるとでも思ってンの?」
「……強盗殺人……さっきもそんなことを言ったわね……そう、私はそう呼ばれているのね……」
「え……?」
ふと、女の表情が翳った気がした。
しかし祭は、気を抜いてはいけないと、もう一度玉兎を構えなおす。
「…………あなた、このルリちゃんって子とどういう関係なのよ……」
ルリは「ママ」と呼んだが、祭には情報が飛び交いすぎて、何が真実なのか判断がつかない。
しかし、強盗殺人犯が連れ去った人質のルリは、明らかに、被害にあったクニヒラ家の子女なのだろう……トワの報告もあったし、アンリも同じことを言った。
なので、まだ小さいルリ自身が発している「ママ」という言葉はいささか信用ならない。
目の前にいる強盗殺人犯のことをそう呼んでいるとは……そう、確かだというわけでもなさそうだ……。
「……なのに、ひっかかる……どうして?」
小さくつぶやいて、祭はそれでも気を集中させようと、足を踏ん張った。
アンリは言葉を発さず、ただ肩で息をしている。もしかすると、もう一度アビリティを使うことは無理かもしれない。
それも気にかかった。
こんなアンリを見たのは、久しぶりだったからだ。
女は先ほどの祭のつぶやきに黙っている。
しかし、しばらくしてから静かに口を開いた。
「……正直に話せば信用してもらえるのかしら?」
……と。
「どういうこと?」
「彼を刺したのは正当防衛よ」
「彼? ……刺した……? 刺したって、クニヒラ家の若社長のこと?」
「ええ」
「正当防衛っていうことは、つまり……」
「向こうから危害を加えてきたのよ……私に……いいえ、違うわね、その子……ルリによ」
祭は瞬間的に、うさぎのぬいぐるみを抱えたその少女を振り返った。
だが、また女を向きなおす。
「……ならどうしてあなたは逃げたの? それも、クニヒラ家の車を奪ってるんでしょ?」
「……確かに強盗という罪なら認めざるを得ないわね。だけど、あのままあの男を放っておけば、……娘はとんでもない目にあってた」
「娘!? じゃあ、あなたってこのルリちゃんって子の……まって、じゃあ、クニヒラの社長夫人ってことに……」
祭が言いかけると、背後のアンリのそばから少女が飛び出そうとした。
「ママ!」
「……行っちゃだめだ!」
アンリがルリの手を引く。
それに気を取られた祭に、一瞬の隙ができた。
女は、それを見逃さなかった。
いや、衝動的に行動にでたのだろうか。
ものの数秒、祭は、そのルリの母親だという女に背後を取られ、手首を拘束された。
「しまった!!」
「祭!」
ぐるり、と祭の視界が回転する。
180度回った景色。目の前には、さきほどまで後ろにいたアンリと少女の姿が見える。
腕を背に回され、女の力によって動きを封じられ……さらに、首筋には例の鏡の刃。
祭は思わず、ごくりと喉をならさずにはいられなかった。
「……そこの少年エージェント。ルリの手を離して。そしてゆっくりこっちへ連れてきて」
「祭をどうする気だ!」
膝をつき、荒い息をしながらアンリが女をにらみつけている。
祭の手を掴む女の手は一層力が入り、ついに、玉兎をフロアの冷たい床へと落とさせた。
完全にピンチといえば、ピンチだった。
アンリは精神力を消耗して、まともに動けそうにない。
祭は祭で、玉兎を創り出した分の精神力を消耗している……つまり、どちらにしても限界が近い。
「頭よさそうなあんたならわかるでしょう? ヘタなまねをすればこの子の首筋から、赤い液体が大量に流れることになるわよ」
「……あんたこそ、バカなまねは止して! 自分の娘の前で、よくも、こんな!」
ギリッと歯軋りすると、搾り出すように祭は言った。
「……しかたないでしょう……もうここまで来てしまったのよ。こうでもしなければ、あの子とは一緒にいられなかったの!!」
「だからって……! ヒトを刺しておいて、いいわけない!!」
思い切り、力をこめた。祭は足を後ろに突き出し、女の股下に滑り込ませる。
そして、彼女のふくらはぎに自分のすねを絡ませ、転倒を図った。
「……! この……っ!!」
女が唸り、彼女の刃が祭の頭上から降ってくる。
――避けられない!?
頭にカミナリが落ちたような衝撃が、その後すぐに、祭を襲った。
ボタリ、と重い、一滴の血が頬に触れたのは感覚でわかったが、状況がハッキリを把握できない。
「ママァ!!」
そう叫ぶのは、ルリだ。
うさぎのぬいぐるみを捨て、女に駆け寄っている。
女の顔がちらりと見えたが、その表情はやつれていて、くたびれていて……そして、驚愕していた。
祭は、まず自分が血を流していないのを悟った。
どこにも、新しい傷はなく、新しい痛みもない。
なら、この頬に触れた生暖かい鮮血は、誰のものなのか……。
「……アンリ!?」
ドサリ、と祭に覆いかぶさるように、彼は倒れた。
「……ちょ、ちょっと、なんでなの!? あんた、あっちに居たじゃない! ルリちゃんを……そうよ、ルリちゃんと一緒に離れたところに……なのにっ……!」
「アシスタンスアビリティで、こっちに高速移動したんだよ……それくらい悟ってもらえないかな……うっ……」
「そーいう憎まれ口きいてる場合じゃないでしょっ、しゃべるなぁっ、コラ、バカ! これ、この血……!」
血だ。間違いない。アンリのわき腹から、泉のようにそれは湧き出でている。
やがてそれは、重なっている祭の私服にも赤い染みを作り始めた。
「どうしよ、あたし、あたし……!!」
「落ち……着け、よ、ま……つり……」
「ばかーっ! 落ち着いていられるわけが……!!」
祭はアンリの体を少し傾けると、傷口を確かめようと必死で彼を横にさせた。
傷はあまり深くはないようだが、この血は早く止めなければ危険だ。
「アンリ……アンリ、しっかりして!!」
なすすべなく声をかけ、祭はハっとして女を振り返った。
彼女は、いつのまにか地面にペタリを座り込み、震えていた。
手に持っているのは、刃。……鏡の刃だ。……それも、アンリの血が一筋、伝っている。
その隣にルリが駆け寄って、泣きじゃくっていた。
女はルリに、手を添えられ……ただ呆然と、その場にいる。
少なくとも、襲ってくるような気配も殺気も感じられなかった。
「……祭……早く……彼女を、拘、束……しろっ……」
「でもあんたは!?」
「僕のこと……ぐっ、……心……配してる、場合じゃない、だろっ!?」
「だけど……!!」
祭が途惑った、その時だった。
コツ、と、ローファーの靴音がして、その人物は突然現れると、言った。
「……中島翠。逮捕する」
そして、女の腕を取り、八の字に似た特殊な手錠(リング)をはめ込む。
「……あ、あなた……!!」
祭が目を見開く。
彼を知っていた。時々、本社で見かける……憧れの、その人本人が目の前にいる。
オレンジに似た茶髪。ブラウンの双眸。
……男だった。二十歳すぎだろうか。着ているのはまぎれもなくヘヴンズの制服だった。
あまりにもいろんなことが一度に起こったので、どうしていいか軽く混乱した。
女が彼に力なく立たされ、ルリもそれに続く。
「……えーっと……」
と、言ったのはオレンジ頭の彼だった。
祭をアンリを見下ろし、それからアンリの状態に気づいて表情を硬くする。
「何があった!?」
「あ、あたしをかばってアンリが!」
「救護班呼んでくる。それまで、様子ちゃんと見てろ!」
「……あのっ、あたし……どうしたら!」
「心配するなって。傷は浅いし、いそげば失血死も免れる。ただ……」
「え?」
「あんた、エージェントだな? そいつ、パートナーだろ?」
「……は、はい」
「そこにいてやればいいよ。とにかく、そこにいてやれ。いいな? 俺はこの女連れて外のトワと白雪に、この子預けなきゃなんねーから」
「え? ……トワ先輩と、姫野先輩を知って……いえ、二人今ここに? あ、ちょ……」
待って……といいかけて、祭はやめた。
オレンジ頭の彼は鏡の迷宮に、女とルリを連れ、早々立ち去ってしまったのだ。
アンリに向き直り、祭はその手を傷口に添える。
すでにアンリ本人の手がそこにあったが、それに重ねるようにして……祭はただ、黙った。
荒い息遣いが彼からこぼれる。
祭には治癒アビリティが使えない。
アンリから流れ出る血を止めることはできない。
「……いそいだら……助かるよね? アンタ死んだりしないよね、アンリ……!」
「……何……バカな、こと……」
「バカはあんたじゃない! トワ先輩が言ってた。犯人が人質とったときのなんとかっていうデータ資料……あれのせいでしょ!? それで無茶して、あたしかばって」
「……ああ、……アレ……」
「ホントバカよ。他のことはなんでも上手くやってのけるくせに、なんで肝心なときに冷静じゃないわけ、あんたはっ!」
「……ハハ……無茶……してる、のは……いつも……君、だろ、祭……」
「……そう、だけど……!」
自然に涙がこぼれた。
何故だか無性に腹立たしくなり、悲しくなり、そして、どうしようもない情けなさを感じた。
「……もうしゃべるのやめなさいよ、アンリ……」
「……そうだな……なんかすごく……つか、れ、た……し……」
「ダイジョブ、だって、もうすぐ救護班が…………」
そう、救護班が来る。
そうしたら、アンリをすぐに病院へ連れて行って、適した処置をしてくれる。
何もできない自分ではなく、救護班はきちんと、アンリを救ってくれる。
「……アンリ?」
祭は目に涙を溜めたまま、彼の名を呼んだ。
しかし、アンリの碧眼は知らない間に閉じられていて、今はもう、開こうともしない。
「……うそ……バカ……そりゃ、しゃべるなって言ったけど、……でも、あたし……」
急に視界がぼやけてきた。
ぼろぼろと涙が手の甲に落ち、祭についていたアンリの血を流しだす。
「……アンリ? ねぇ……あんみつおごるって言ったよ? 何ふざけてんの? 言っとくけど、仲直りしろって言っても、もう許さないわよ?」
返答はない。ただシンとしたミラーハウスの地面が、冷たく祭の声を反射している。
「……アンリ……アンリ……! どうせ腐れ縁なんだから、あたしが死ぬまで待ってなさいよ! こんなとこであんた……パートナーを一人にする気!? 冗談じゃないわよ! 失血死しないってあのヒト言ったもん! あんたあたしと同じ天使族でしょ!? もう傷だって、治って……治って…………!」
願うように、祭はアンリの傷口を確かめた。
だが、アンリが目を開けることはなかった。
「……アンリ……!! 冗談きつすぎ……!!」
何故か、頭の中に彼の声がリフレインする。
その声の後ろで、バタバタと騒がしい足音が聞えた。
「有働!」
……と、トワの声が聞えた気がしたのだが……。
祭はよく覚えていない。
「中島翠……クニヒラ重工財閥の若社長の元恋人。……で、正真正銘、クニヒラ・ルリの母親。DNA鑑定でハッキリしたらしい。んで、罪状の件だけど、若社長一命を取り留めたってさ……つまり」
「わかっています」
姫野白雪はきっぱりと告げ、目の前のオレンジ頭の彼を見た。
「彼女がアビリティを使ってクニヒラ財閥の若社長を刺したということについては、傷害罪を。それから、車体盗難で窃盗罪。ただし、ルリという少女の誘拐については、上の判断を仰ぐ、ということですね」
「……ああ、たのむ」
彼は、姫野を見る。
「……リセさんらしくありませんね。私に何か質問があるようですが、言葉で伝えていただけると有難く思います」
姫野は彼に淡々と告げた。
「いや、……あのさ白雪……あの子どうしたかと思ってさ。ほら、ミラーハウスで血だらけになってた子の隣にいた……みつあみのエージェント。ほら、パートナーのほうは、あんなコトになって……さ……」
「ああ、祭さんですね。……病院です」
「……一人にしておいて大丈夫かな」
「……一人ではありません」
あまりにも涼しい顔をしすぎたか、オレンジ頭の彼――小林梨世は、虚をつかれたような表情をした。
「……えと、……帰る途中だし、病院よって行こうかな」
「ええ。きっと祭さん、大喜びでしょう」
「なんでだよ?」
「個人情報の侵害になるので回答はできかねます」
「はぁ? ……ったく、相変わらずだな。まーいいや。じゃあ、またな」
「はい、それでは」
姫野はヘヴンズ本社の廊下で彼と別れた。
数歩歩いたあと振り返ったが、そこにその姿はもうない。
……ふと、思う。
リセには「祭は一人じゃない」といったが、彼は何か勘違いしてはなかったろうか。
病院の個室は殺風景だった。
その中にたったひとつだけある、ベッド。
白いスーツの中に横たわっている体が微動だにしない。
祭は、その姿をぼーっと眺めているだけだった。
……が。
「……起きなさいよ」
目を細め、静かに寝息を立てる彼に祭は低くうなる。
すると、シーツに仰向けになっていた彼が目を覚ました。
「……祭か。何?」
「何じゃないわよ! サギ師ーっ」
「ちょっとまてよ。どうして目覚め第一に君からサギ師呼ばわりされなくちゃならないんだよ?」
あきらかに相手は不機嫌そうだった。
しかし祭はそんなことはお構いなしに続ける。
「アンリ、あんたね! あのデータ! 人質が取られたときのなんとかってやつ。見てなかったんだって!?ちゃんと読みなさいよ! っていうか読んでないって一言いいなさいよ。アタシ、思いっきり頭固いあんたがそういうのを本気にしたんだと思ったわよ! まったく! どれだけヒトが心配したと思ってるのよ! てっきり死んだかと思ったわよ! それが何? 今朝病院に来て見たら、あんたのんきに寝てるし!?」
「って、ヒトを勝手に殺すなよ」
「だって、ミラーハウスであんなに……!!」
思い出して、祭は目に涙が溜まっているのに気がついた。
あわててうつむく。
しかし、長いキレイな手がすっと伸びてきて、祭りの顔を上げさせた。
「……君、目が赤い。……眠れなかったのか?」
「…………無神経に眠ってて欲しかった?」
にらんでやると、アンリは何故か苦笑いした。
それから、
「……ううん」
とつぶやく。
頬に添えられた手は離れない。
心臓が、何故かいつもよりもスピードを増して音を立てている。
「…………あんみつ、おごってもらってないし」
「…………そんなのが理由?」
「……そうだけど、でも、ほら、あたし言ってなかったから」
「え?」
「……かばってくれてアリガト……あと……いつも迷惑かけてる。ごめんね。ありがとう」
「いいよ。……パートナーだろ」
アンリが笑った。
祭はその深い色をした瞳に吸い込まれそうだった。
「え、あの……ちょっとアンリ?」
あまりにもじっと見つめられるので、どうしようもなく恥ずかしくなってきた、その瞬間。
「……あ。悪い、邪魔した!?」
なんていう声が、脇から聞えた。
振り返るとそこに、昨夜の……あのヒトがいた。
オレンジの髪の、ブラウンの瞳の青年。
祭の『憧れの君』である。
「ああっ!! あ、えっと、昨日はどうもでした!!」
立ち上がり、祭は思い切り腰を折っておじぎした。
隣でアンリも同じようにしている。ただし、祭ほど大げさに頭をさげたわけではなかったが。
「いや、俺別に何もしてないし……ってアレ? ……そっちの……」
アンリの顔を見て、彼はきょとんとする。
「……ああ、そっか、助かったんだ。てっきり……」
「よっぽど僕って、ヤワに見えるみたいですね」
アンリが皮肉めいた口調でそうつぶやく。それが耳に入ったかして、『憧れの君』は顔をゆがめる。
「……白雪そっくりっていうかなんていうか……あ、違うな、そういう話をしにきたわけじゃなかったんだ……とにかく、無事ならいいや。俺様子見に来ただけだし、帰るよ」
「あ、あの、ちょっと待ってください、あたし、有働祭です。で、こっちはアンリ。アンリ・グラント!……よろしかったら、お名前訊いても……?」
「え? 俺? 俺は……」
彼が言いかけて、ふととどまった。
部屋の向こうから足音が聞えてくる。スキップと駆け足がまざったような、独特の、妙な足音だった。
「……この足音……ごめん、俺もう行くな! トワは苦手なんだよ、うっとうしくて!」
「えっ!? でも名前……!」
「名前は……」
と言いかけながら、彼は窓に手をつけて、開いているそこから外に飛び出した。
幸いにも一階だったので、翼を出さずにすんだようだ。
駆け出しながら彼は叫ぶ。
「名前は、小林梨世!!」
「………………え、えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
祭は叫ばずにはいられなかった。
小林梨世といえば、ウワサに有名なあの、小林梨世だというのだ。
「……君の恋路って奇想天外もいいところだね」
アンリがつぶやいたところで、病室の扉が開く。
現れたのは赤茶髪の青年だ。
「よ、アンリ、元気か?」
「トワ先輩……おかげさまで」
「よかったな、とりあえずは腹の傷だけで済んだんだろ? でも寝不足はやめとけよ、有働の話の状況とタイミングじゃあ、死んだかと思うだろ」
「すみません」
「退院はいつだ?」
「明日にでも。精神力をかなり消耗したので、傷の回復に少し時間がかかるみたいですけど」
「そっか。…………なぁ、ところで有働のヤツ、窓に向かって何硬直してんだ?」
「……さぁ?」
クスクス、とアンリが笑ったような声が、祭の耳に届いた。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
祭は硬直したまま、空っぽになりそうな頭の中で、かろうじてあんみつを思い浮かべながら、立っているのがやっとだった。
fin.